• 2017/12/01
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東西本願寺分派について

本日の築地本願寺では、准如上人祥月命日の法要が勤まりました。

築地本願寺

第十一代門主顕如上人の後継者として、長男教如上人、三男准如上人と分かれて、東西本願寺が分かれることとなりました。その後、本願寺第12代門主となられ、日本全国に寺院を建立され、築地本願寺も建立されました。それから400年経過して、先日築地本願寺にて、江戸御坊創建400年記念法要が勤修されました。

以下、本日配布の准如上人のご紹介&東西本願寺の分派のいわれです。

准如上人(1577〜1630)
天正五年(1577)第十一代顕如上人の第四子として戦乱中の石山本願寺にてご誕生されました。顕如上人が大坂退去の誓紙を信長に届け、石山本願寺を退去した後、本願寺は紀州(和歌山)鷺森→泉州貝塚→大坂天満→京都西六条(七条堀川)と移転し、准如上人は15歳の時、天満本願寺で得度されました。当時の本願寺教団は、石山退転を決意された顕如上人と、反して徹底抗戦をとなえた顕如上人の長男・教如上人と大きく二分していました。文禄元年(1592)いに顕如上人がご往生なされ、当初、本願寺の法灯は長男である教如上人が継職されましたが、秀吉は十年後に弟の准如上人に職を譲るよう教如上人に通告しました。しかし、教如上人の従者らがこの通告に疑義をとなえたことが秀吉の怒りに触れ、教如上人は直ちに職を去ることが命じられ、文禄二年(1593)准如上人は17歳にて本願寺第十二代の法灯をご継職されることになりました。しかしその後、慶長7年(1602)に家康が教如上人に寺地を寄進して東本願寺が建立されました。これが東西本願寺の分派の歴史であります。