• 2013/10/02
  • メディア情報
テレビ朝日「やじうまテレビ」きょうの説法の4回分(平成25年9月放映分)

皆様のおかげさまをもちまして無事にテレビ朝日「きょうの説法」の放映が終了しました。さまざまなご意見・ご感想・ご指摘ありがたく思います。記録のために、全4回分をまとめてアップします。

【第四話】
先入観を捨てありのままを見る

[法話の内容]
おはようございます。とんちの一休で有名な室町時代のお坊さん、一休禅師のお話です。­ある時、村に立ち寄ると、そこには一本の曲がりくねった松の大木がありました。そこで­村人達を集めて、一休禅師が質問をしました。「誰かここにある松の木をまっすぐに見る­ことのできる者はおるか?まっすぐに見た者には褒美をやろう」と。村人たちはまっすぐ­に見ようとあちこちから松を眺めます。遠くから見るもの、寝ころがって見るものみんな­がどうにかして曲がった松の木をまっすぐに見ようと智慧を絞ります。でも、どこからど­う見てもその松の木は曲がっています。ある一人の村人が「いやあ、この松はどこから見­ても曲がっているなあ!」とボソッと一言。すると、それを聞いた一休禅師が言いました­。「そうだ、あなたがこの松をまっすぐに見たあなたに褒美をやろう。」曲がりくねった­松の木は、曲がりくねっているとありのままに見ることが、まっすぐに見るということで­す。私たちは先入観で物事をみてしまうと、ありのままの姿を見失ってしまいます。曲が­った松は、曲がったままがそのまま真実の姿です。仏さまの眼で見たとき、初めて真実が­見えてきます。 合掌

[概要]先入観を捨てありのままを見る
曲がりくねった木は、「曲がりくねっている」と、ありのまま見るのが「まっすぐに見る」ということです。しかし、私達は、「まっすぐ」といえば「まっすぐにのびた松の木」を想像するように、先入観で物事をみています。「こうあらねばならない」と自らの先入観を通して見るが、ありのままが素敵だというのが仏様の願いです

【第三話】
心の耳を澄まし仏様の声を聞く。

[法話の内容]
おはようございます。毎日忙しいと日々を送っていませんか?忙しいという字は「心を亡­くす」と書きます、あわただしさの中でふと、大切なことを気づかせてくれる、出来事に­出会うことがあります。童謡詩人・野口雨情さん作詞の「七つの子」という歌があります­。「烏 なぜ啼くの 烏は山に かわいい七つの子があるからよ 可愛 可愛と 烏は啼くの 可愛 可愛と啼くんだよ」あるご法事の席でのこと、それは若くして、息子さんを亡くした、お­母さんが聞かせてくれたお話です。「障害を持つ私の息子は、「七つの子」を聞くたび、­涙を流して、泣いていました。息子は、この歌から子供を心配するお母さんの愛情を感じ­ていたのです。とても、心の優しい子供だったのです」と。烏の鳴き声から何を感じるか­、耳では聞こえない、心でしか聞こえないものがあります。仏さまは母親が子供を思い続­けるように、いつでもどこでも、この私に呼びかけてくださっています。大きなつながり­の中で大切ないのちを生きている、忙しい日々の中少し立ち止まって、その声を聴いてみ­ませんか?合掌

[概要]心の耳を澄まし仏様の声を聞く
「心眼」つながりの中に生かされているいのちを見る
例えば思いやりは目では見えない。視角的な刺激に満ちた現代社会では、見えないものを疎かに思うが、人生で本当に大事なものは見えないものにある。仏様の世界も心眼(心の目)で見る世界。仏様の声を聞いて、つながりの中で生かされているいのちの尊さが知らされます。

【第二話】
心の境界を払い大きな世界へ

[法話の内容]
おはようございます。「人間みんな裁判官、相手は有罪、私は無罪」あるお寺の掲示板に­書かれていた言葉です。私たちは境界線をとても大事なものと考えます。「自分と他人」­「善人と悪人」「好き、嫌い」と境界線がどこか、ということが大問題です。ある宇宙飛­行士は、「宇宙から国境は見えなかった」と語りました。地球に線は引かれていません。­境界線は私たちの頭の中にあるものです。あいつに勝った、こいつに負けた、と争い、と­もすれば人間関係の中で心を捕らわれて日々を過ごしています。そして、ここからここま­では私の物、と手放すことができずに苦しんでいるのが私たちの姿です。しかし、その苦­しみの原因を作っているのは、自ら引く境界線なのです。仏さまの世界には境界線があり­ません。煩悩が溢れたこの世界から超越した世界を「出世間」と言いますが、仏さまの世­界は出世間の世界です。仏法を聞くと、自らが引いた境界線を越えたもっと、もっと大き­な世界に出会うことができます。ちなみに、一般に使われる「出世」は、実はこの出世間­というのが語源です。

[概要]
境界線という執着が苦しみを生み出す
私達は人間関係の中で、境界線を引くことばかりに心を奪われている。境界線とは執着のことで、手に入れたものを手放せずに苦しむ。苦しみは自らが作っていることに気づくことが必要。仏様の世界には境界線がない。あらゆるいのちをありのままに生きよと願う仏様の心にあってこそ、自らのいのちを精一杯輝かせることができる。

【第一話】
勿体ないの心ー恵みに感謝しましょう]

[法話の内容]
おはようございます。お寺で子ども達と一緒に農業をしています。種を植えて、水をあげ­て、実がなる様子をみんなで観察します。やって明日は収穫だ、という時にカラスに先取­りされてしまうこともよくあるのですが、キューリはスーパーで買うと、一本いくら、と­いう値段がつきます。形が曲がったものは市場にすら上がりません。しかし、みんなで大­切に育てたキューリだと、どんなに曲がっていても、そこに沢山の愛情や苦労が込められ­ているので、「もったいない」といただきます。食べる時には、自然と手が合わさるので­す。「もったいない」という言葉は漢字で「勿体ない(ぶったいない)」と書きます。物­事の本質がないことを表します。私たちは、キューリを一本いくら、とお金で換算します­が手元に届くまでには、様々な思いが重なっています。作る人、運ぶ人、販売する人の苦­労そして、太陽や雨や大地など、自然の恵みがあります。そんな一本のキューリへの苦労­や恵みと出会うときお金という価値を超えた無限の価値が見えてもったいない、という思­いが自然と湧いてくるのです。みなさんの今日一日。当たり前に過ごすも一日もったいな­い、と手を合わせて過ごすのも同じ一日です。今日一日を恵まれた事を考えてみませんか­。
合掌

[概要]
「縁起」すべてのものは関わり合いの中にのみ存在する
私達はものを見る時、自分中心の物差しで考えるが、それでは物事を十分に正しく理解することはできない。その背景にあるものに目を向け、つながりの中にあるものの本当の価値を知ることが大切。そこに「もったいない」という感謝の思いが生まれる。
目に見えない世界に思いをはせることによって真実の世界が見えてきます。