• 2019/04/21
  • みんなの日曜礼拝
【苦悩の原因】「こうなりたい」から「こうあれねばならない」

今日は、いい天気ですね。今朝の日曜礼拝の講師は弘山光称先生です。

御和讃「如来の作願をたずぬれば 苦悩の有情を捨てずして 回向を主としたまいて 大悲心をば成就せり」よりご法話を頂きました。

私達の常識とはなんでしょうか?

一昔前は、脇に抱えた巨大な携帯電話で抱えて電話をしておりました。黒電話時代には、夜8時頃、相手方に電話をすると、「いま何時だと思っているのだ!」と叱られたことをあります。現在は、一人一台携帯電話を使用するようになり、逆に、携帯電話にて、夜8時に電話をして、相手が電話に出られないと「なんで出てくれないのか」という心境になります。今までの常識が、状況が変化して、便利なこと、恩慶を受けることによって、これまで作り上げられた常識はガタガタと音を立てて崩れていきます。。

ですが、私達はこうすべきであるという常識を守らなければいけないという心に縛られおります。その常識が崩れていくのが現実です。私の心の中にある「こうありたい」という思いから、「こうあらねばならない」という思いに縛られてしまい、苦悩を与えてくる原因となります。

如来は、変わることのない真実としておこりました。如来の心は自他不二、「あなたが私」という自他を超えた世界であります。私の悩みの原因は、自他(あなたと私)をわけることです。その自他の中で、私の思い通りにならない現実にであい、思い通りにしたいという思いから、怒り腹立ちそねむ心が湧き上がってきます。

そして、如来は、あなたと私、無関係な存在はないという立場であります。こうあらねばならないが私の世界ですが、最後にには、そうなれないという思いに絶望の悲しみがおとずれてきます。如来は、ありのままの自分を生きよ、ありのままの命を受け止めて下さる存在であります。気が付けば、これが本当だと握りしめていく私がいます。その私のいのちに南無阿弥陀仏と飛び込んでくださるのが如来様であります。