天真寺通信

仏教婦人会(れんげ会)

仏教婦人会「れんげ会」例会

本日、13:30~仏教婦人会「れんげ会」の例会がありました。
この度は、恵信尼文書の第一通を一緒に拝読しました。
コチラ、現代語訳。
恵信尼文書 第一通
去年の十二月一日付のお手紙、 同二十日過ぎに確かに読みました。 何よりも聖人が浄土に往生なさったことについてはあらためて申しあげることもありません。
聖人は比叡山を下りて六角堂に百日間こもり、 来世の救いを求めて祈っておられたところ、 九十五日目の明け方に、 夢の中に聖徳太子が現れてお言葉をお示しくださいました。 それで、 すぐに六角堂を出て、 来世に救われる教えを求め、 法然上人にお会いになりました。 そこで、 六角堂にこもったように、 また百日間、 雨の降る日も晴れた日も、 どんなに風の強い日もお通いになったのです。 そして、 ただ来世の救いについては、 善人にも悪人にも同じように、 迷いの世界を離れることのできる道を、 ただひとすじに仰せになっていた上人のお言葉をお聞きして、 しっかりと受けとめられました。 ですから、 「法然上人のいらっしゃるところには、 人が何といおうと、 たとえ地獄へ堕ちるに違いないといおうとも、 わたしはこれまで何度も生れ変り死に変りして迷い続けてきた身であるから、 どこへでもついて行きます」 と、 人がいろいろといったときも仰せになっていました。
さて、 常陸の国、 下妻のさかい・・・の郷というところにいたとき、 夢を見ました。 それはお堂の落慶法要かと思います。 お堂は東向きに建っていて、 宵祭りが行われているのでしょうか、 お堂の前にはたいまつが明るく燃えていました。 たいまつの西のお堂の前に、 鳥居のようなものがあり、 その横木に仏の絵像が掛けられていましたが、 一つは普通の仏のお顔ではなく、 仏の頭光のようであり、 はっきりとお姿を拝見することができず、 ただ光輝いているばかりでいらっしゃいました。 もう一つは確かに仏のお顔でしたので、 「これは何という仏さまなのでしょうか」 と尋ねると、 答えた人は誰であるかよくわかりませんが、 「あの光輝いているばかりでいらっしゃるのは、 まさしく法然上人です。 それは勢至菩薩なのです」 というので、 「それでは、 もう一方は」 と尋ねると、 「あれは観音菩薩です。 まさしく善信房なのです」 というのを聞きました。 その時はっと目が覚めて、 夢であったとわかったのです。
けれども、 こんなことは人に話すものではないと聞いていましたし、 わたしがそのようなことをいったところで、 人は本当のことだと思うはずがないので、 まったく人にもいわないで、 法然上人のことだけを聖人に申しあげると、 「夢にはいろいろあるけれども、 それは正夢です。 法然上人は勢至菩薩の化身であるといわれ、 それを夢に見ることもよくあるといわれます。 また、 勢至菩薩はこの上ない智慧そのものであり、 それはそのまま光となって輝いていらっしゃるのです」 と仰せになりました。 観音菩薩のことは申しあげずにおりましたが、 その後は心の中で、 聖人を普通の人と思わずに過してきました。 あなたもこのようにお心得ください。
ですから、 臨終がどのようなものであったとしても、 聖人の浄土往生は疑いなく、 それが変ることはありませんが、 益方も臨終に立ち会ったそうで、 親子とはいいながらその縁がよほど深かったのだと思いますので、 心からうれしく思います。
また、 この越後では去年の作物のできが特に悪く、 ひどいありさまで、 人々が生きていけるかどうかわからない中、 住むところを変えました。 この辺りだけでなく、 益方の方も、 またわたしが頼りにしている人の領地もみなこのようなありさまであり、 世間の人のほとんどが被害を受けているなかで、 あれこれといっても仕方ありません。 このようなありさまですので、 長い間仕えていた男二人が正月にいなくなってしまいました。 どうにも作物を作る手だてがありませんので、 ますます生活が不安なことですが、 この先それほど長く生きる身でもありませんし、 気にやむ程ではありません。 けれどもわたし一人ではなく、 こちらには親のいない小黒の女房の娘や息子がいますし、 益方の子供もいますので、 何となく母親になったような気さえしています。 これらの子どもたちがこの先無事に生きていけるか気がかりでなりません。・・・
 
今年は、恵信尼文書を読むことにしました。一緒に学びを深めませんか?参加者募集中です。

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