天真寺通信

みんなの日曜礼拝

みんなの日曜礼拝

2月8日の日曜礼拝でした。
ご和讃の巡読は正像末和讃に入りまして
「釈迦如来カクレマシマシテ」より六首です。
日曜礼拝
正像末和讃のカギとなる言葉の一つに「五濁」ということがあげられます。
末法、つまりお釈迦様のいらっしゃったときから遠くはなれた時代では
いろいろな「濁り」によって、正しいものごとが見えなくなってしまうということを
五つの濁りでお示しくださいます。
劫濁(こうじょく)
時代の濁り
正しいことを教えてくださる方がいなくなってから
時間が経てばたつほど正しいことが見失われてしまうこと
見濁(けんじょく)
見解の濁り
いろいろなものの見方がはびこって
正しいものの見方にであうことが難しくなってしまうこと
煩悩濁(ぼんのうじょく)
心身の濁り
こころとからだのもとめるままの生き方をすることによって
正しいものの見方から遠ざかってしまうこと
衆生濁(しゅじょうじょく)
社会の濁り
せっかく正しいことに出遇えそうになっても周囲の人々の
ものの見方に流されてしまいやすくなること
命濁(みょうじょく)
寿命の濁り
あれこれさまざまな興味関心に時間を費やしているうちに
ただしいことに出遇う前に寿命が終わってしまうこと
わたしたちは、末法五濁のいまをいきていながら
いま このときに
この身 このまま ありのままの このわたしが
生かされて 生き抜く道をあゆませていただくのです。
(光)

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