天真寺通信

秋彼岸

秋の彼岸法要にて

秋彼岸法要
今年も秋の彼岸法要が厳修されました。今年のご講師は例年のごとく広島県からお越しの福間義朝先生です。
福間義朝
お釈迦様はおさとりを開かれてから、45年間にわたり説法され、その数1万2千巻。その中から、親鸞聖人がお選びくださった、私の救いが説かれているのは『浄土三部経』。さらに煮詰めていけば、48願そして、「18願」ご本願です。そのご本願「設我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚 唯除五逆 誹謗正法」の「十方衆生」のおこころです。仏教は、人間だけではなく、いのちあるものすべてにはたらいており、あらゆるいのちを命を尊びます。我が家のいぬちゃん・ねこちゃんにも。

につまります。
阿弥陀さまの心は、自分で自分を見捨てても決して見捨てないのが阿弥陀さまですよ。お母さんの身体にいたとき我はいたか、いやいないだろう。2,3年経過してからでてきたのを「われ」といっているだけ。私より先にあったのがこのいのち。阿弥陀さんだから救って下さるのではなく、決して見捨てないハタラキを阿弥陀。大きなハタラキがナマンダブなまんだぶという声となって私に届いて下さっている。途方もないハタラキに願われているこのいのち。念仏の中が本当の居場所ですよ、という仏さまのお心を時には笑い、時には涙ながらにお話し下さいました。
親鸞聖人は、「摂取不捨」の左訓(解説)にて、
摂めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。
摂はものの逃ぐるを追はへ取るなり。
摂はをさめとる、 取るは迎へとる。
一旦摂めとると決して捨てられることがなく、また阿弥陀仏に背いてにげるものを、どこまでも追って迎えとる仏の大慈悲のはたらきですよとのお示しであります。讃岐の庄松さんは同行から「摂取不捨とはなんぞや?」と問われ、パッと手を広げて相手に襲い掛かり逃げる相手を追い詰めて捕まえ、 「これが摂取不捨」といわれたというエピソードがあります。
全宇宙には数限りない多くの世界があり、そこに存在するすべての衆生に如来は目を注がれ、それらの衆生を名号のいわれを信じて念仏申すみに育てられ、光の中に摂めとって決して捨てられることはありません。それゆえに、この仏を阿弥陀と申されるのです。
最後に、天真寺役員の皆様には、法要準備・進行・後片付けまで、いつもいつも有り難うございます。写真は、門信徒Oさんです。これからも、皆様と一緒に阿弥陀さまのお慈悲を聴聞させて頂く時間を大切にしていきたいと思います。
合掌

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