天真寺通信

みんなの日曜礼拝

手作りのお斎

お斎
最近、物忘れがひどい。先程、郵便にて書類を提出したが、書類には判子をおす項目があったが、捺印していなかったように思う・・・。先週の日曜礼拝の担当だったので、法話をさせて頂いたが何を話したか思い出せない( ̄0 ̄)本日は、いつもお世話になっているJ寺様の別院報恩講にて法話をさせて頂いたので、そのことで頭がいっぱいだっただろうか?J寺様別院では、婦人会忘年会も一緒に勤めるので、法話の後に、楽しい一時があります。坊守さんお手製のお赤飯からたくさんのお斎を頂戴しました。ご馳走様でした。有り難いことに、ご法話のご縁にて、さまざまなお寺にお伺いすると、いろいろなお斎を頂戴します。毎回、そのお斎の写真を撮影していた。天真寺の報恩講のお斎は、今までお弁当を注文していたが、今年は婦人会のお手製弁当となりました。とても美味しかったです。
そんなこんなで、法話の参考書籍を読むと、「小石の喩え」が紹介されていた。小石を磨けば宝石となり価値が生まれるというのが、一般仏教の「煩悩即菩提」という解釈。自力で修行することにより煩悩を減じて悟りを得ることができるという考え方です。対して、親鸞聖人の人間観は、私という石は、宝石であるはずはなく、どのように磨いても石に過ぎない。しかし、そのただの石である私が南無阿弥陀仏によって光沢を得ることが出来る。つまり、煩悩具足の私に名号がはたらいてさとることできる。煩悩が、阿弥陀如来がハタライくださる手がかりになるのです。というお話しをしたことを思い出した。そして、「無碍光」から、仏様の光は何もさまたげとならなく何処にでも届くのですとお話をした。もう一つ話した気がするが・・・あきらめよう。昔のことを思い出すことが、脳の海馬にはいいというので、もうちょっと記憶をたどってみよう。
思えば今日は、天真寺雅楽教室のお稽古の日なので、雅楽のお稽古をしよう!!!

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