天真寺通信

講演関係

ガチャみくじ@善光寺

親鸞
今年の春彼岸は布教の旅でした。お彼岸シーズン、和田堀廟所様、常圓寺様・長野別院様、照光寺様、ブッダde大喜利「春彼岸」、善正寺様(宮城組)と6ヶ寺にてのご縁を頂戴しました。基本的には、法務優先なので、布教には出られませんが、ひょんなことからご縁がつながっていきました。折角のご縁なので、長野に行けばと、善光寺様に参拝すると、親鸞聖人とお目にかかりました。
【善光寺の親鸞聖人像のいわれ】
鎌倉時代、浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、越後から東国への旅の途中で善光寺に参詣され、善光寺如来さまの御前に松の枝を供えられたといわれている。この故事にちなみ、本堂外陣に置かれている大きな華瓶には、「親鸞聖人お花松」と呼ばれる松の若木が今も欠かさず供えられています。
善光寺の境内を散歩していると、「ガチャガチャおみくじ」を発見。ガチャガチャ世代としては、つい心が揺らいでしまいます。
ガチャみくじ
気が付けば、500円を投入しておりました。景品がこちら。
がちゃみくじ
「善光寺探訪ガチャみくじ」文化財編には、山門・仁王門・本堂・鐘楼・鳩文字看板&金色に輝く??シークレットアイテムがあるようです。「おみくじ」とは、神社本庁のHPによると、個人の運勢や吉凶を占うために用いられています。
神社本庁によるおみくじとは
種類もいろいろとあり、神社ごとに工夫も窺うことができます。その内容には、大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶という吉凶判断、金運や恋愛、失せ物、旅行、待ち人、健康など生活全般に亙る記述を見ることができます。また、生活の指針となる和歌などを載せているものもあります。
 そもそも占いとは、物事の始めにあたって、まず御神慮を仰ぎ、これに基づいて懸命に事を遂行しようとする、ある種の信仰の表れともいえます。例えば、小正月などにその年の作柄や天候を占う粥占神事や、神社の祭事に奉仕する頭屋などの神役を選ぶ際に御神慮に適う者が選ばれるよう「くじ」を引いて決めることなど、古くから続けられてきました。「おみくじ」もこうした占いの一つといえます。
「おみくじ」は単に吉凶判断を目的として引くのではなく、その内容を今後の生活指針としていくことが何より大切なことといえます。また神社境内の木の枝に結んで帰る習わしもありますが、持ち帰っても問題はなく、引いた「おみくじ」を充分に読み返し、自分自身の行動に照らし合わせてみたいものです。
神社本庁によると、「おみくじ」は単に吉凶判断を目的として引くのではなく、その内容を今後の生活指針としていくことが何より大切なこと、とあります。浄土真宗の開祖親鸞聖人は、人生の指針を阿弥陀様のご本願をたよりとする専修念仏の道をお示し下さいました。
『正像末和讃』には、
かなしきかなや道俗の
良時吉日えらばしめ
天神地祇をあがめつつ
ト占祭祀つとめとす
と大安・仏滅などの日のよしあしを選び、神様に欲望をかなえてもらうことを願い、占いやお祀りに人生の指針をたずねている姿を悲しまれております。その理由は、人生はいい人生・悪い人生と比較することはできず、○○のせいだと責任転嫁をしていくのではなく、阿弥陀様の願いの中お念仏申しながら、事実を事実のままに受け入れていく、小さいながら一歩ずつ仏さまと一緒に歩んでいく道をお示し下さったからであります。
しかしながら、ガチャガチャ世代、ビックリマン世代としては、ついつい全種類を集めたくなってしまう。なにか欲望に翻弄されているようにも感じてしまう。本来、仏教というのは、「少欲知足」と、欲望を否定して、恵まれているものを見つめ直す考え方を強調するからであります。もし仏法にであっていなければ、ガチャガチャ全種類を集めよう、そしてシークレットアイテムをゲットしようと思っていたが、「でもな」と思わせていただくことができることに感謝したいなぁと思います。あるお寺の坊守さんと会話の中で思ったこと。坊守さんが「念仏を申す口からあまり人の悪口を言うものではありません」と注意されたといいますが、その時「なにもしなれば人の悪口しか出てこない口から『南無阿弥陀仏』と出てきて下さる」という仏さまのお慈悲が有り難いなぁと思いました。事実は変わらないけれども、受け取り方によって全く異なっていきます。仏様とご一緒の人生、山あり谷ありですが、安心の道を歩ませて頂きます。

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