天真寺通信

みんなの日曜礼拝

ありがとうの反対語?

住職
毎週日曜日朝7時~「みんなの日曜礼拝」が勤まります。この度の講師は住職です。和讃は「曇鸞讃」。御文章は「八万の法蔵章」です。
法話の中で、住職が好きな御文章は、「八万の法蔵章」だそうです。
それ、八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり。しかれば当流のこころは、あながちにもろもろの聖教をよみ、ものをしるたりといふとも、 一念の信心のいはれをしらざる人は、いたづらごとなりとしるべし。されば聖人の御ことばにも、「一切の男女たらん身は、弥陀の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるといふことあるべからず」と仰せられたり。このゆゑにいかなる女人なりといふも、もろもろの雑行をすてて、 一念に弥陀如来今度の後生たすけたまへとふかくたのみまうさん人は、 十人も百人もみなともに弥陀の報土に往生すべきこと、さらさら疑(うたがい)あるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ
よくお話の中「ありがとう」の反対語は何ですか?と言われます。「ありがとう」の反対語は???「当たり前」です。「ありがとう」の語源は「有ること難し」。限りないたくさんのご縁が結ばれてこの瞬間を迎えることができたという感謝・慶びの言葉が「ありがとう」。その反対は「当たり前」、当然のことという意味です。生きているのが当たり前。健康が当たり前。なにも疑問を持たないさまを表します。同じことであっても、「そんなことは当然」「当たり前」と感謝しない世界もあれば、「有ること難し」と手を合わせる世界もあります。
 よく近しい人のことはわからないと言います。葬儀を迎えるにあたり、法名をお付けさせていただく時、「故人様はどのような方でしたか?」と伺うと、ハッと一瞬考え込まれます。いつも一緒にいる人はどんな人?「明るい」「リーダーシップがある」「なんでも貫き通す人」「相手の悲しみを私の悲しみとする人」など、あまり考えません。いつもいるのが当たり前と思っているからです。「有ること難し」という仏法の眼を頂いたなら、また違った世界が見えてきます。
住職のよろこびは、ご門徒様が、ご法座にお参り下さり、一緒にナンマンダブツとお念仏を称えることであります。明後日、天真寺にて報恩講法要が勤まりますので、ぜひご参拝下さいませ。
寺報

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