天真寺通信

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石田太郎様

毎週日曜日AM7時からつとめられるみんなの日曜礼拝。
本日の担当は龍哉でした。
昨日、法話を考えていると、石田太郎さんがお亡くなりなったというニュースが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130922-00000050-spnannex-ent(スポニチアネックス)
米ドラマ「刑事コロンボ」シリーズの日本語吹き替え版でコロンボ役の声優を務めた俳優の石田太郎(いしだ・たろう、本名石田弦太郎=いしだ・げんたろう)さんが21日、急死した。69歳。京都市出身。神奈川県相模原市内で10月スタートのフジテレビ「木曜劇場 独身貴族」(木曜後10・00)の収録中に倒れ、救急搬送された。主演のSMAPの草なぎ剛(39)とプールに入っていたところ、急変したという。
石田さんといえば、親しみのあるキャラクター。そして、浄土真宗本願寺派の僧侶であるということを聞いていたので、驚きました。そして、いろんな疑問がわいてきました。「石田さんは、なぜ僧侶になったのか?」・・・。ネットで検索してみると、本願寺新報に記事が見つかりましたので、2009年に石田さんが書かれた本願寺新報の記事を紹介させて頂きました。
以下、本願寺新報の記事を転載します。
[よき人に導かれて 石田 太郎(石川・乗敬寺住職)] 本願寺新報 2009(平成21)年8月1日号掲載
■「死」について考える
今年上半期のビッグニュースといえば、映画「おくりびと」(私も2シーンですが出演してます)のアカデミー賞受賞があげられるでしょう。作品については人それぞれ、いろいろな見方や感じ方があると思いますが、多くの人々が「死」について今一度考えてみる大きな機縁となったのではないでしょうか。
私自身もこれまで多くの人との死別を経験しました。お盆の季節を迎え、あの人も、この人も・・・と思いが巡ります。そんな中のお一人に、大和きくゑさんというおばあちゃんがいます。10年前のことです。金沢で住職をしていた父が亡くなり、その跡継ぎの話が、東京で役者をしている私にきました。私は大いに悩みました。というか、ご辞退するつもりでいました。というのも、亡くなった父も住職になるまでは長年、東京で役者をしていたため、私自身は一度も金沢のお寺で暮らしたことがなかったからです。学生時代から舞台に立ち、お寺とは正反対ともいえる芸能界ひと筋の人生だったからです。金沢では、そんな私をいろんな方が励ましてくれました。「みんなで協力するから大丈夫」「10年後、絶対よかったと思うから、やりなさい・・・」しかし、なかなか決心がつきません。
ある時、大和のおばあちゃんが私に言いました。「わたしの葬式はな、あんたがするんや。あんたがやらんでだれがする。わたしはあんた以外に葬式はしてもらわん」おばあちゃんの声、言葉の響き、その表情から、私は直感的にお寺とご門徒との理屈を超えた深い深い絆を感じました。その言葉で住職となることを決心しました。180センチある私に比べると、小さな小さなおばあちゃんです。その小さなおばあちゃんが、私の大きな背中をドーンと押してくれたのです。
■万感胸に迫る正信偈
それから数年後、おばあちゃんは足が悪くなって病院に入院しました。私は金沢で法事をつとめた帰り道、おばあちゃんのお見舞いに行こうと思い立ちました。しかし、法衣姿で病院に行くのは・・と、少し遠慮気味に病室を訪ねました。すると、おばあちゃんは大喜び。私が「法衣のままで」と言うと「有り難い、有り難い」と感謝され、同室のおばあちゃんたちも「お寺さんはその方が有り難いよ」と一緒になって喜んでくれました。私はまた一つ、おばあちゃんから住職としてのお育てをいただいたと感動しました。やがて、そんなおばあちゃんとも今生の別れの時がやってきました。お葬式の導師はもちろん私です。「きみょう、むりょう」とおつとめする正信偈は万感胸に迫り来る思いでした。
■「癒し」を超えて
私は現在、8月29日からNHKで放映の土曜ドラマ「再生の町」の撮影中です。財政破綻した自治体の再建プロジェクトを描いたドラマですが、私は苦難多きこの人生においても、お念仏に出あうことによって、再び「強く明るく生き抜く」ことができると、おばあちゃんとの出会いを振り返りながらしみじみと思いました。
親鸞聖人は自らを「煩悩具足の凡夫」とおっしゃいました。煩悩だらけのこの身であると知らされ、懺悔するそのままが、仏さまの確かな智慧の光に照らし出されたこの私の姿でした。生死の迷い、煩悩の身を生き抜く真実の智慧が、南無阿弥陀仏(お念仏)としてこの私に今、届けられています。100年に一度の大不況といわれる中、人々は眼前の苦境にあえぎつつ、ささやかな心の「癒し」を求めて暮らしています。しかし、私は「癒し」とは「甘え」に通じるのではないかと思うのです。苦悩を苦悩だとしっかり受けとめるところに、人生を生き抜く力、根源的エネルギーが与えられる。それがお念仏の世界です。
「倶会一処」(倶に一つの処で会う)というお言葉が『阿弥陀経』にあります。凡夫の私たちがこの世の縁尽きた時、お浄土で仏となって再び会えるというのです。お浄土があればこそ、苦難多きこの人生をお念仏とともに力強く生き抜けるのです。人生には必ず最後の別れが訪れます。しかし、その「別れ」さえも真実の「出あい」に転じてくださるのが親鸞聖人のみ教えだと、大和のおばあちゃんが今、私に教えてくれています。
[住職が住職を演じて 石田 太郎(石川・乗敬寺住職)] 本願寺新報2007(平成19)年3月10日号掲載
■心にのこるこのセリフ
<NHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」のワンシーン>
一真住職 どないや、落ち着いたか?
健次郎 いや、何か家の中バタバタしてて
一真 子どもらは?
健次郎 タカシはまだ何かあったら泣いてる
一真 そやろな・・・、母親が亡くなったことを受け入れられへんねんで
健次郎 ・・・・・・
一真 昨日までいた人が急に自分のそばからいんようになる。自分が何にも悪いことしてへんのに罰でも受けたようにな
健次郎 ほんまですわ 一真 けど、それは罰やない。教えや。人間は必ず死ぬということを教えてくれてるんや・・・
健次郎 ・・・・・・
一真 人間にはいつか死がやってくる。それを知って毎日を生きることは大事なことや。まあ、小さいタカシ君にそこまで理解せいゆうのは無理やけど・・・ このつらさと向き合うことは無駄にはならへん。自分や他人を大事に思うようになる・・・
健次郎 ・・・・・・
◇ここで私が演じているのが、近所のお寺の住職・一真です。浄土真宗の住職としてはまだまだ新米の私ですが、役者生活はもう四十年以上になります。そんな私も、このシーンのセリフには特別な思い入れがあり、また、私の心にしみるものがありました。
■言葉にならない寂寥感
というのも先年、三十年連れ添った妻が急逝したからです。体調が悪いといって病院で診てもらった時には、すでに余命一カ月との診断。その言葉通り、一昨年の九月二十三日、お彼岸の中日に往生しました。そのさびしさ、寂寥感というものは言葉になりません。いまも心の中にあいた空間が、うまらないままでいます。
先ほどのシーンに続いて、一真住職はこのように語ります。「悲しむだけ悲しんだらええ。考えるだけ考えたらええ。その時間は仏さんがわれわれに与えてくれはった時間なんや。なんぼつこうてもかまへん・・・」考えてみますと、私たち現代人は、お通夜やお葬式、そして法事といった仏事を、ややもすると形式的に、また単なる通過儀礼や習俗のようにとらえてしまってはいないでしょうか。たとえ仏教に縁がなかったり関心がなかったとしても、本来はもっと何か大切なものにふれ、大事なことを考える時間ではなかったかと、このシーンを通してあらためて感じさせられました。
善導大師は、お念仏に生きることを「学仏大悲心」(仏の大悲心を学ぶ)とお示しになられました。それは「摂取不捨」(おさめとってすてない)という如来の無限の慈悲をこの身にいただくことだと親鸞聖人は教えてくださいました。今年もまたお彼岸が近づいてきました。亡くなった妻のことが、いっそう偲ばれる季節です。そして、そのような思いの方は、全国に大勢おられることでしょう。
■スタジオも伝道の場に
亡くなられた方をご縁に営む仏事。これを大切に、心を込めて、そして本来の意義を考え丁重におつとめすることで、「宗教砂漠」といわれる現代の人々の心にも「何か大切なもの」「何か大事なことを考える時間」というものが伝わるのではないでしょうか。そしてそれがひいては「仏の大悲心を学ぶ」という、真の仏縁となっていくと私は思うのです。芸能界に身を置く住職として、お葬式や法事のシーン、あるいは合掌の仕方一つにしても、「浄土真宗ではコレコレなんですよ」と、出演者やスタッフにさりげなくお話させていただくことがあります。住職としてはささやかなことですが、それがきっかけで話題が広がったりすることもしばしばです。
実は「一真住職」という登場人物も、田辺聖子先生の原作にはなく、私が出演するということで新たに脚本に書き加えられた役柄でした。このようなことも、私なりの一つの伝道活動ではと思いつつ、ご縁ある限り、役者と住職という二足のわらじをはき続けていけたらありがたいなぁと思っております。

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