天真寺通信

みんなの日曜礼拝

如信上人

みんなの日曜礼拝
今朝7時から日曜礼拝は、東方学院の奥住先生でした。
和讃は、源信僧都をお讃えるご和讃です。
ご法話は、2月は如月、もう立春だが、まだまだ寒いです。ですが、庭の梅がカタチつぼみを結んでいます、自然は事を知っているのです。そして、源信和尚のお話。浄土教のために足跡を残している。往生要集は地獄の有様を描写している。その地獄の絵を描いて、悪いことをしない誡めのために絵解きがされてきた。比叡山天台宗の方が、浄土教の種をまいてくれた。
その後、栃木県にお寺に行かれた時のお話へ。慈願寺様、如信上人のお話を頂戴しました。
先日(2月2日[旧暦正月4日])如信上人の祥月命日でしたので、如信上人のご紹介をさせて頂きます。
如信上人(1235~1300)
如信上人は文暦2年(1235)親鸞聖人のご長男善鸞のご子息として親鸞聖人が63才の時にご誕生されました。幼少の頃から20才迄は聖人の傍らにて薫育を受けられました。その後、父である善鸞が関東地方での異義を正すため東国に向かわれるのに同行されましたが、父善鸞は関東の地にて独自の異義を唱えたため、聖人から義絶を申し渡されました。しかし、如信上人は「聖人の教えを的確に継承した面授の弟子」の一人として『親鸞聖人門侶交名帳』に名を連ねています。如信上人は主に関東で教化を続けられ、その御旧跡として睦奥国(福島県)白川郷大網の願入寺や常陸国(茨城県)久慈郡太子町上金沢の法龍寺などが伝えられている。
  上人は、親鸞聖人の廟堂の留守職(後の門主職)にはつかれませんでしたが、第三代覚如上人は本願寺を公称し血脈の正当を示されるにあたり、開祖を親鸞聖人・第二代を如信上人・第三代に自身を位置づけ、「三代伝持の御影」を作製して門徒に示されました。
 上人は京都大谷(本願寺)で行われる報恩講には努めて上洛され、上洛した折には大谷の覚恵・覚如上人父子に親鸞聖人の教えを説かれたと伝えられています。また、覚如上人の伝記絵巻である『慕帰絵』『最須敬重絵詞』には、覚如上人が20才の頃、父覚恵とともにおよそ2年間にわたって関東を巡拝されたとき、如信上人と親しく接見されたことが記されてあります。上人は正安2年正月4日(旧暦)御往生なされました。
※『親鸞聖人門侶交名帳』
親鸞聖人から直接教えを受けた各地の門弟48名の名前が記されている。
以上、築地本願寺資料より。
なんまんだぶ
❒一口メモ❒
(公益財団法人)東方学院について
中村元東方研究所を母胎として発足。東方学院の理想に賛同する学者個人とそのもとで学ぼうとする学徒によって構成される共同体としてのグループの連合体。さまざまな講義のプログラムがあり、仏教入門から仏典、さらには仏典が書かれているパーリ語などを学べます。
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【みんなの日曜礼拝とは】
天真寺本堂では、毎週日曜日朝7時から日曜礼拝がつとめられます。
天真寺住職をはじめ衆徒が輪番制にてお勤めをしております。
毎月第1週の日曜日は、僧籍をお持ちの方、仏道を志している方(例えば、中央仏教学院通信講座を卒業。または、通学している)、天真寺門信徒の方に調声をしていただく参加型の「みんなの日曜礼拝」です。

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