天真寺通信
『当たり前』から『ありがとう』へ
「ぞうさん」「一年生になったら」などで有名な作詞家・まどみちおさんがいらっしゃいます。たくさんの歌の中に「朝がくると」という詩があります。
朝がくると まどみちお
朝がくると とび起きて
ぼくが作ったものでもない 水道で 顔をあらうと
ぼくが作ったものでもない洋服を きて
ぼくが作ったものでもないごはんを むしゃむしゃたべる
それから ぼくが作ったものでもない本やノートを
ぼくが作ったものでもないランドセルに つめて せなかに しょって
さて ぼくが作ったものでもない靴を はくと
たったか たったか でかけていく
ぼくが作ったものでもない道路を
ぼくが作ったものでもない学校へと
ああ なんのために いまに おとなになったら
ぼくだって ぼくたって なにかを 作ることが
できるように なるために
毎日の生活のこと「顔を洗い 洋服を着て ご飯を食べて 本やノートをランドセルに入れて 靴を履いて 学校に行く」。そこに、当たり前の日常の出来事が、「ぼくが作ったものでもない」という視点からみれば、全く違う世界が見えてきます。
年を重ねる毎に、自分は一人で生きている、自分の力1つで生きていけると思いがちになり、他者を否定し、攻撃するようになります、オレは間違っていないのだからと。その影には目に見えない犠牲・悲しみの存在するのです。その影がなくなった時、支えていてくれた存在の大きさを知らされます。
すべては、他者との関係でなりたっています。さらに大きな視点で見れば、日本や地球や銀河系も宇宙の存在にまで目を向けると、私たちは、生まれて生きていられることのありがたさをただひたすら感謝するのみであります。ただただ数えられないおかげさまの中にいることに気づかされます。
ナンマンダブツのお念仏の響きの中に、大いなるハタラキをお聞かせ頂きます。当たり前からありがとうの生活にこそ、心豊かな日々を送る秘訣があるようです。
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