天真寺通信

永代合葬墓あんのん堂

今月のあんのん堂

お盆を前に京都大谷本廟内にある永代合葬墓「あんのん堂」にお参りしてきました。
門をくぐると・・
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ムシムシ暑い京都の夏にミストでほっこり(*^_^*)
 
夏の定番、百日紅の花が見事に咲いています。奥に見えるのは仏殿です。
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サルが滑りそうなほど樹皮がツルツルしているので「百日紅」という名がついているそうですが、実際にはサルは簡単に登るらしいですね(^O^)/
 
今月の大賀蓮
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もうすっかり花は落ちて・・
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ちょっと苦手な画像です・・・蓮さん、ごめんなさい(^-^;
 
 
今月の法語です。
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「凡夫はすなわちわれらなり」『一念多念文意』
このご文のあとに「凡夫」の説明をされています。
「凡夫といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと・・」・・・なるほど私の事です”(-“”-)”
 
さて、親鸞聖人は聖徳太子を「和国の教主」と仰ぎ奉讃されています。聖徳太子が作られた「憲法十七条」には「和をもって貴しとなし」から始まり、第二条には「篤く三宝を敬う。三宝は仏・法・僧なり」とあり、仏法を中心とした国家を目指されました。そして第十条には「われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず。ともにこれ凡夫ならくのみ。」と示されています。私もあなたも凡夫にすぎないのですよ・・・と。
自分で自分をどんなに内省してみても、やはり人の考える範囲でしかありません。聖徳太子も親鸞聖人も、自分の事を「凡夫」だと言い切られるのは、仏法に照らされ仏様を中心として生きられたからでありましょう。
「凡夫」だからと開き直るのでも自己嫌悪に陥るだけでもなく、そこにこそ仏様の救いがあります。「凡夫」から抜けられないからこそ仏様に願われている、と、親鸞聖人は悲しみと慶びのなか阿弥陀様にぬかずいていかれます。
「ともにこれ凡夫ならくのみ」・・・ナンマンダブ・・
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天真寺では8月14・15日とお盆法要が勤まります。どうぞお誘いあわせのうえお参りくださいませ。お盆をご縁に仏様のお心を聞かせていただきましょう。
(果)

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