天真寺通信
「出会う」と「出遇う」
天真寺の定例法話会には、大分県より田中誠証先生がお越し下りました。
ご法話にて、「出会う」と「出遇う」についてのお話がございました。キリスト教・イスラム教、19願20願の行者は救いの対象を外におき、私の外にある神仏と結びつき「出会う」ことを救いと考えます。そのために「私が良く聞く」「私がよく信じる」と私のハカライが問題となってきます。
浄土真宗のご法義は、私が助かる心配も、私が助からない心配も私がするのではなく、すべて仏さまが先手のご心配。阿弥陀様のご本願のサンスクリット語「プールバ」には「私たちに先行して気が付く前、先」という意味、すべて仏さまが先のお救い、阿弥陀様が私の中に宿って下さる慈悲心が示されております。私が南無阿弥陀仏の仏さまに出遇うことは、私の計らいではなく、阿弥陀様の計らいにて「出遇う」のであります。そのお心を「行信不二」「生仏一如」とよんで参りました。
お話の中で、深く印象に残りましたのは、山口県のある和上のお言葉であります。
和上のお説教の口癖は、「お同行、一時間一時間半の説教は『てれっと聞いて忘れて帰ればちょうどいい』」。先生は、和上のまねはできないからと「ふんふんときいて、大方忘れて下さってちょうどいいんですよ。」とお話されているそうです。
ですが、その話を聞いて、この忙しい世界に忘れていっていい世界があるかと怒った方がいらっしゃったそうな。それは、お聴聞をしている側を主体にした聞き方であります。確かに、生きていくには、一生懸命に生きていかなければ、この競争社会を生き抜くことができません。ですが、果たして走り続けることができる私の身であろうかという問いかけがあります。
先生がおっしゃっていたのは、ご法義側のお話です。浄土真宗・阿弥陀様の宗教は、一生懸命聞かなければならないというご法義ではない。一生懸命聞いてもすぐに忘れてしまう日が来る。先生は、認知症になった知人、規律正しく・人に迷惑をかけずに生きてきたある先生が認知症になり暴力を振るう症状が出てきた方のお話を紹介されておりました。一生懸命生きたくても、自分の思い通りにならない身を生かさせていただいている我が身であります。その私に、私たちの阿弥陀様は、『大無量寿経』において、ああ生きなさい、こう生きなさいと私たちに生き様を説いておらず、ただひたすら、必ず救うよ。必ずあなたを救いとって、あなたを仏の国にすくい上げる。あなたを仏に仕上げる。それが成就できなかったなら、この弥陀が悟りの身とならない「若不生者不取正覚」のお救いであります。源左さんが口ずさんでいた「助けずにはおかん大願業力だからのお、ようこそ、ようこそ」の世界であります。
まさに、ようこそ、ようこその有り難きご縁でありました。
法座の最後は、司会の門信徒Oさんより次回のご案内がありました。次回は10月25日(木)ボランテラ・寺報の発送作業のお手伝いがありますので、どうぞご協力下さいませ。
皆様との出遇いに感謝申しつつ「ようこそ ようこそ」とお待ちしております!!!
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