天真寺通信

寺報「月刊てんしん」

修験道から念仏へ

月刊天真寺報
月刊天真寺報
3月の寺報「月刊天真3月号」です。
【月刊天真寺3月号PDFバージョン】
https://tenshin.or.jp/wp-content/uploads/2019/03/20190318121911.pdf

■しあわせになるために 誰もが生まれてきた 静香
いのちの理由(作詞 さだまさし)
私が生まれてきたわけ訳は 父と母とに出会うため
私が生まれてきたわけ訳は きょうだいたちに出会うため
私が生まれてきたわけ訳は 友達みんなに出会うため
私が生まれてきたわけ訳は 愛しいあなたに出会うため
春来れば 花自ずから咲くように
秋くれば 葉は自ずから散るように
しあわせになるために 誰もが生まれてきたんだよ
悲しみの花の後からは 喜びの実が実るように
あなたが生まれてきた訳は、何ですか。
一月の法話会で、ご講師の栁川先生が、「いのちの理由」という曲をご紹介下さいました。シンガーソングライターのさだまさしさんが、浄土宗の依頼で作った曲で、「みんな救われたいけど、どう救われたらいいのかがわからない」、だからこの曲を聞いて、それをイメージしてもらいたいと仰っています。
私たちの人生は、思い通りにならないことばかり。時には、生きる意味さえ見失います。しかし、仏様は私のいのちそのものを慈しんで下さっています。そこに、何一つ条件はありません。私がありのままで救われる世界が、仏様の世界です。
生まれてきて、私はしあわせです。そのしあわせは、仏様の教えを聞いて、気づかせていただいたもの。仏様との出会いに、感謝します。
■修験道から念仏へ 千葉組天真寺 西原龍哉

平成も残り数ヶ月です。小学生の時、当時の官房長官が新元号「平成」の二文字を掲げた瞬間を鮮明に覚えています。それから32年。中身はあの頃と変わらない気もしますが、やはり年相応の外見には「諸行無常」の時の流れを感じます。

 現在の元号は、明治に「一世一元制」が採用され、天皇一代に使用する元号は一つです。しかし、親鸞聖人の時代は、大地震や火災など天変地異などが発生すると、元号が変わっていました。聖人90年の生涯は、36回元号が変わる程の激動の時代でした。聖人の伯父日野宗業は高名な儒学者で、朝廷の文章博士として、鎌倉時代「建仁」という元号を提案されています。その建仁元年は、親鸞聖人にとって忘れがたい年です。『教行信証』に、「しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と示されます。この時聖人29歳、これまでの自力の仏道から阿弥陀如来の本願に帰依をされる他力の仏道を歩まれる決意をされたのです。

 昨年は、多くの災害に見舞われ、無力な私たち人間の姿が映し出されました。親鸞聖人が在関東の頃、活躍していたのが修験者の山伏弁円です。修験道では、呪術によって災害を除き、来福を祈祷します。弁円は念仏の教えが弘まると、聖人に敵愾心を抱き、殺害計画を立てました。しかし、実際に会って話をすると、瞬く間にその教えに帰依し、弓矢・刀・頭巾と山伏姿を投げ放って、仏弟子となられました。

念仏の世界は、苦悩を取り除く道ではありません。その苦悩の中から教えられ、育てられ、目覚めさせられる世界です。煩悩具足の私を、そのまま抱き取って下さるのが阿弥陀如来のお慈悲であり、一人じゃないぞ、ともに乗り越えようと「南無阿弥陀仏」のよび声となってくださる仏様と歩む道です。苦悩は変わらずとも、受け取る私が転じられていくのです。先人は、そのお心を「渋柿の渋がそのまま甘さかな」と詠まれました。煩悩具足の私だからこそ、念仏申す身へと育てられるのです。時代は変わっても、常に我が身を照らしてくださる阿弥陀如来のお慈悲の心は変わらないのです。

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