天真寺通信

法話

[法話]大切なものはなにですか?

天真寺
昨日の天真寺役員会にて、毎月発行の「月刊天真」にて、常例法話のダイジェスト&法話をアップして欲しいというご意見がありました。
改めて、今まで書いた法話原稿を見直したら、全部忘れていることに気づきました。
こちらは、10年前、築地本願寺のテレフォン法話の原稿です。
大切なものは何ですか?
最近気が付けば「忙しい、忙しい」が口癖になっていました。
そんなある日、先を急ぐばかりに足下を見失い、左足を捻ってしまいました。翌日にはますます腫れ痛みがひどくなってきたので接骨院に行きますと、全治3ヶ月の「捻挫」と診断されました。その時のことです。私が治療を受けていると、そこに右手に包帯を巻いた一人の女性が入って来ました。接骨医とのやりとりによると、その女性は右手を骨折したようであります。足を捻挫した私、手を骨折した女性と、怪我をした者同士でなんとなく話が始まりました。私はその女性に「なぜ怪我をしたのですか」と尋ねました。すると「駅の階段から落ちたのです」と答えられましたので、「骨折するほど高いところから落ちたのですか」と驚きますと、「いやいや鞄に大切なお財布が入っていたので、離してはいけないと必死に抱えたせいで、全体重が手にかかって骨折をしてしまったのです」とのお話。私がそれを聞いてふと「鞄を持っている手を離せば良かったのでは・・・」と思ったところ、その女性も「そうなのよ、鞄を離せば良かったのよね」と私の思いを察したようで、思わず二人で顔を見合わせて苦笑いとなりました。
 

しかしこの話を他人事とばかり聞いてはいられません。心ここにあらずで、足下を見失って捻挫をする私も同じことです。
大切なものは何か。お金?仕事?地位?手放すことを忘れて苦しめられているのが私のすがたなのです。 つかみ取ろうつかみ取ろうとする私がいます。そんな私に阿弥陀如来は「あなたを摂め取って決して捨てないよ、だからどうか安心して今を大切に生きてほしい」と呼びかけて下さっています。忙しいと言いながら次から次へと求め続ける私は、今を大切にする気持ちを忘れていました。
怪我の功名、求めずとももう摂められ願われているいのちを生かされている、阿弥陀如来の摂取不捨のおこころを聞かせて頂く出来事でありました。

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