天真寺通信

法話

親鸞 与格の思想

今日は、朝から資料整理しております。
記録用として、御絵伝布教の時にお世話になった「洗心書房」さん。さすが真宗王国安芸、さまざまな情報をご法義繁盛のためにオープン化して下さっております(感謝!!!)
http://www.ne.jp/asahi/senshin/hiroshima/senshintop.htm
「誰でも宗学が学べる研鑽道場」広島学寮の初代学頭の高松悟峰和上の御法話
http://www.ne.jp/asahi/senshin/hiroshima/12newpage1.htm

広島の真宗学寮の創始者・高松悟峰和上の御示談
http://www.ne.jp/asahi/senshin/hiroshima/13takamatujidannPDF.pdf

2019年1月30日中外日報の「自力の果て`絶対無力`」。中島岳志教授が、築地本願寺聞法会館にて講演された「『教行信証』と現代、現代思想としての『他力』」より。
講題は、「親鸞 与格の思想」。与格とはヒンディー語など特定の言語の名詞などに付く文法上の標識のことで、「南無阿弥陀仏」のサンスクリット原語「Namomitabhaya」も語末は与格形になっている。教授は、「あなたは○○語が話せるのか?」という文は、ヒンディー語では「○○語があなたやってきてとどまっているのか」と表される。
 大部分が古典の引用から成る親鸞聖人の主著『教行信証』は、その文章スタイル自体が親鸞思想の表れではないかと問題提起し、「親鸞聖人は『言語は過去やかなたからやって来る』という言葉の与格的構造を知っていたのでは」と論じた。
 数年前の大みそか、当時生後二ヶ月の息子が高熱を出したが、夜間救急が満員で診察を断られ、数日間妻と交代で抱っこしながら看病した経験を披露。
 無事熱が下がり、窓を開けて鼻歌を歌った時、無性に涙が止まらなくなったといい、「人は『助けて』という自力の果てに絶対的無力と出合う。そのとき、如来からの呼び掛けによって自然と発せられるものが念仏なのでは」と語った。
と、最後「政治学者として、親鸞聖人の思想を現実世界にどういかせるかを考えている」とお話になったそうです。

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