• 2014/04/13
  • みんなの日曜礼拝
みんなの日曜礼拝

天真寺本堂では、毎週日曜日朝7時から「みんなの日曜礼拝」がつとまります。
今回の担当は、龍哉でした。
【ご和讃】仏智疑惑のつみにより 六首
【ご文章】いまの世章
こちらは正信偈&和讃があらわされている「小本和讃」。文字の横に朱色の「宮商角微羽」という判子が押してあります。これは、音の高さを表し、宮はハ調レであることを表します。
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この度は、いまの世章についてお話しをさせて頂きました。その勉強をしている時に、「すくい」に関して印象に残る言葉がありましたので、ご紹介させて頂きます。
□メモ 救いとは□
後生のすくいを説いても、今生のすくいを明らかにしなければ、宗教としての意味がありません。浄土教といえども、すくいは後生に限るものではありません。もし、すくいを死後に限るならば、今生はつらくとも我慢すれば、死後は楽なところに生まれさせるという、現実から目を背けさせるための宗教になってしまいます。この宗教観からは死後のすくいも実現できないのです。
今生をどのような価値観をもって生きるか、それが救いの本質であります。自己中心の我執に閉じこもり、世間の価値観に従属して生きてきた者が、世間を超えた真実に目覚め、自らの我執に気づき、世間を相対化させて生きてゆく、それを救いという。このような生と死を貫く価値観を確立できない者が、いくら死後にすくいを願ってもすくいはあり得ません。阿弥陀仏をもっとも大切なものとして生きてゆきます。「我執」を主としたり、「世間」を主として生きません。この価値観の転換を回心とも信心とも言います。
理想的には、この生き方が確立することですが、現実にはなかなか難しいものがあります。しかし、それを自らの人生の目標として、少しずつでも努力するのです。このような信心をいただくことこそがすくいなのです。後生のすくいは、その必然として恵まれるのです。蓮如上人は、差別をうける世の女性に、厳しい差別を超えて、阿弥陀仏を中心とした信心によって、宗教的にも、社会にも新しい秩序を確立せしめて、平等の大悲に生かされる者の自覚と視点を持って生き抜く、御同朋の社会を開いてゆかれた。
FROM 御文章ひらがな版を読む 著者 天岸浄圓
【みんなの日曜礼拝とは】
天真寺本堂では、毎週日曜日朝7時から日曜礼拝がつとめられます。 天真寺住職をはじめ衆徒が輪番制にてお勤めをしております。 毎月第1週の日曜日は、僧籍をお持ちの方、仏道を志している方(例えば、中央仏教学院通信講座を卒業。または、通学している)、天真寺門信徒の方に調声をしていただく参加型の「みんなの日曜礼拝」です。