• 2016/03/22
  • 天真寺
散る桜 残る桜も 散る桜

桜
桜
天真寺門前の河津桜は満開となり、春の季節を運んで下さいます。
桜を鑑賞していると、良寛さんの辞世の句「散る桜 残る桜も 散る桜」が思い出されます。良寛さん自らの命を桜にたとえた詩。私は命を終えていくが、残されたあなたたちも命を終えていく「諸行無常」の定めなのですよ、精いっぱい生きて下さい、仏様のみ教えに出遇ってくださいね、という良寛さんのお心が詰まった詩であります。
そしてもう一つ桜から伝わってくる詩があります。親鸞聖人、幼名範宴が9才の時、お得度のなされました。その時、戒師の慈鎮和尚が「夜遅いから、お得度式は明日にしましょう」というおっしゃられたことに対して詠まれた詩です。「明日ありと 思う心の 徒桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」満開に咲いている桜もいつ嵐が来て散ってしまうかもしれません。今お得度をお願いします。「諸行無常」だからこそ、「今を生きる」「今この瞬間を精一杯生きていく」「仏様のご縁を大切にする」という親鸞聖人に歩まれたメッセージが伝わってきます。
以前お伺いした大谷大学名誉教授の広瀬先生のお話しを思い出します。京都に住んでいる先生の元に、あるお母さんと娘さんが尋ねます。娘さんは、高校卒業後ある企業に勤めます。仕事では、受け持ちの集金先があり、その中の一軒が非常に貧乏でお金をもらいに行っても払ってくれない。それ以上払ってくれとはいいにくいので 初めの頃は自分のボーナスで立て替えてみたりしていたが、だんだんお金がかさみ大金になった。その娘さんは、この伝票さえなくなれば、私もあの家の人もこんなに苦労しなくていいと、ふと思って伝票を焼いてしまった。焼いたとたん、はっと気がついた。大変なことをしてしまった。娘さんは東京へ飛び出し、ホテルで服毒自殺をはかる。生きていく望みがない。ずいぶんと苦しんで、家出をしたが幸いにもまた連れ戻されました。そんなことがあり、お母さんが娘さんを先生の所まで連れてきた。娘は挨拶もしない 怖い顔をしている。
先生はこうおっしゃった。「私の独り言のつもりで聞いて下さい。あなたは今から2,3ケ月前に、3ヶ月たったら広瀬という人間の前に座るというあなた自身を想像してみたことがありますか」と尋ねると「ありません」といいます。
私という人間を 知らないのだから あるはずがない。「ところが 3ヶ月前には 思っても見なかったことが あなたの想像を超えて 京都の広瀬という男の 未だかつて座ったこともないところに今、あなたが座っている。あなたは 生きる値打ちがない、どうしようもないと生きる目的を失って自殺しようとしたそうだけれども 明日はどうなるのか どんな自分になるのか あなたには想像もつかないはずです。その証拠に3ヶ月前には 思いつかなかったあなたが、こうして今広瀬の所に座っているという事実があるとすると、あなた自身が、心の痛手を抱えているかもしれないけれども、明日は真っ暗だという人生、生きる望みがないということは、あなたはあなた自身の人生に対して倣慢だという証拠ではないですか。自分の人生を自分で決めると言うことは、傲慢なことその倣慢さが払われてみると 実は昨日の私と今日の私とでは いのちは正直に確実に変わっているということがあるのではないか」とお話をしました。
 
しばらくしてお母さんが、娘が結婚する気になって結納もおさまり、今月結婚式の運びになったと報告されたそうです。
まさしく「諸行無常」です。自分で自分を決めない。私はこういう人間だ。私にはもはや明日はこうしかならないのであると、自分で自分を決めない。決めないから与えられた自分を生きることができる。そこに行き止まりのない生命のあゆみに正直である私が生まれてくるのではないか。というお話しでした。
「諸行無常」あらゆるものは移り変わっていく。その真理の眼から「出会い、そして別れの悲しみ」が映し出されます。とともに、「悲しみを抱えているこの現状は永遠に続くことはない」「変わりゆく現実の姿」が見えてきます。桜の姿を通しながら、仏法に出会わせていただく有難たき一日であります。