• 2016/04/06
  • お寺の活動
念仏を伝えるために会社を運営する

杉田
先日、親戚のお寺・西方寺のピンチヒッターとして杉田製線様での法話のご縁を頂きました。この杉田製線には、昭和30年代、祖母が島根から上京した時勤務しており、すでに法話会が開催されていました。三代目の社長さんにお話を伺うと、初代社長さんが富山県から東京に来て仕事を始めたのは、「念仏のみ教えを弘めるためである」とおっしゃっていた。昔から月一回の法話会は欠かさずに行われており、当時は桐谷順仁和上がお話しをされていました。会議室には、桐谷先生が揮毫された「極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中」のお言葉があります。このお話を伺いながら、法然上人の「衣食住は念仏の助業なり」というお言葉が思い出されました。
西方寺住職のブログ「仏教を楽しむ」にて、「本願寺新報(2012.7.20)一面」に、杉田製線様の法話会が紹介された様子が掲載されていました。タイトルは「創業以来97年続く法話会―鋼線製造の杉田製線が東京の本社会議室で開く―」です。尊いご縁ですので、ぜひお読み下さい。以下、紹介文です。
自動車部品となる鋼線の製造や販売などを手がける杉田製線。高い技術力で年間売り上げは169億円、従業員数350人を誇る企業である。東京都墨田区にあるその本社では、大正4年の創業以来、毎月法話会が聞かれている。 法話会は業務を終えた午後5時半から約2時間、お仏壇を安置した会議室で行われる。杉田光治会長、息子の光一社長自らが聴聞するため、講師の日程を調整して1ヵ月前に開催日を決め、社内の掲示板で通知。また、「東京にはみ教えを聞く場所が少ないから」と、光治会長が親しくする近隣住民に手紙で案内している。
6月22日に開かれた法話会には約20人が参加、光治会長は体調を崩したため聴聞できなかったが、一番前には光一社長の姿があった。30分かけてゆっくりとおつとめし、その後、千葉県柏市・西方寺の西原祐治住職が法話。約1時間半にわたって親鸞聖人の和讃を通して、阿弥陀如来の救いについて、わかりやすく話した。参加者は真剣な面持ちで聴聞した。「私たちが進んで聴聞し、仏さまの教えを大切にしないと」と笑顔で話す光一社長。その笑顔には創業者の祖父・与次郎さんへの思いがある。
明治19年に富山県入善町で生まれた与次郎さん。篤信な母・ちよさんから「お念仏第一」で育てられたという。尋常小学校を1年切り上げて卒業、家業の農業を手伝いながら近くの工場で働いたが、13歳の時、荷物一つで上京。職を転々としながら製線の技術を習得し、同社を創業した。厳しい生活の支えとなったのが、お念仏の教えだという。光治会長は常々語るという。「上京する父に祖母が贈っな言葉は『東京は生き馬の目を抜く、生き地獄のようなところだと聞いています。そんな地獄に落ちたらだめです。地獄に落もないように、いつもお念仏を大事にして、み仏のこころを忘れないようにしてください。これだけは約束しましたよ』だった。この言葉がわが社の原点。父のお念仏を喜ぶ姿勢は半端なものではなかった」と。その精神が光治会長から光一社長へと受け継がれている。光一社長は「怖くても優しかった祖父。朝のおつとめが終わらないと朝食は食べられなかつた。幼い頃から築地本願寺の総会所に一緒に連れて行ってもらいお聴聞をすることでよくあった。また、自宅に桐渓順忍勧学をお招きして法話をしていただいたこともあった。そのおかけで今の自分がある。常に法話を聞き、法話会を続けていける会社経営を心掛けたい」とお念仏の喜びを語る。
毎月法話会に参加する近所の徳田藤市さん(85)は「光治会長に誘われて以来、ずっと参加している。社長さんと会社の役員さん、近所の人もみんなご一緒でいい雰囲気でしょ」と喜ぶ。光一社長は「会社の人たちには無理強いはしないが、できれば法話会に参加してほしいと思っている。代が替わっても杉田製線の原点である『お念仏』を伝えていってほしい」と語る。光一社長は東京都葛飾区・浄泉寺門徒、東京都中央区・築地本願寺総代。また、首都圏の門徒財界人で組織する聞法会[築地あすなろ会]の会員。