天真寺通信

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「法爾」

浅井成海
毎日忙しく過ごしていると、疲れたなぁと思うことがあります。そんな時は、昔購入した書籍を手に取ります。そこで飛び込んできた言葉が龍谷大学名誉教授の浅井成海先生が寄稿された「法爾」でした。私は、法政大学から龍谷大学大学院に入学する時、仏教・浄土真宗についての全く知識がなかったので困っていると、浅井先生を紹介して下さり、大学院の入試までいろいろとご指導を頂いた。その後、浅井ゼミに入りましたが、浅井先生は定年のため1年で退官をされました。最後、浅井先生からゼミ生に先生が言葉が書かれた色紙が贈られた。私が頂いた言葉が「法爾」でした。子の言葉を見て、15年前にタイムトリップしました。
さらに、浅井先生によるコメントが添えられています。
法然上人は法爾の道理ということを言われる。煙は低きより高きへ、水は高きより低きへ流れる。同様に阿弥陀如来の本願の救いはごく当然のことだと示される。親鸞聖人は「自然法爾章」(法語)において、すべては如来のはからいであって行者のはからいではないと説かれる。
 悲しみや苦しみを抱えて生きるこの私だが、念仏に聞く生活の中で本来生かされている身であり、仏の大悲心の働きのまっただな中にあることを知らされる。絶望と思える人生の課題にぶつかっても、気付いてみれば大いなる働きの中にある私である。生かされて生きぬく身を、南无阿弥陀仏と聞かせて頂くのです。
文章を読むとホッと安心をします。浅井先生のおおらかなお人柄、南无阿弥陀仏と念仏を称えていたお姿を思い出します。
忙しいときだからこそ、ふと足下を見つめ、仏様の働きの中にある我が身の姿を知らせて頂きます。
合掌

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