• 2016/08/28
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救いってなんですか?

仏教壮年会
一ヶ月一回の仏教壮年会主催の「正信偈に聞く」の勉強会が開催されました。講師は、京都からお越しの名種木乃実僧侶。本日は、正信偈の曇鸞讃の後半でした。
勉強会では、お勤め⇒講義⇒質問コーナーという流れです。途中の質問コーナーから参加すると、多岐にわたる質問が出てきます。
例えば、宇宙の歴史について学び理解できるが、お経典に説かれている阿弥陀さまの物語に違和感がある。回向とは。「往還回向由他力 正定之因唯信心」(往相も還相も他力の回向であると示された、浄土へ往生するための因はただ信心一つである。)と示されるが、無条件の救いとあるが、信心が条件になっているのではないか。阿弥陀さまの救いとともに、仏さまのハタラキに照射された我が身の姿に注目することも大切ではないか。などなどたくさんのご質問が出てきました。
 前回の勉強会では「救いとは」というご質問がでておりました。私も学生時代「救いとは何ですか」といろいろな宗派の僧侶に尋ねたことを思い出します。仏教の書籍にて「救い」について尋ねると、いろいろな回答があります。
 先日読んだ豊島先生の書籍には、何気ない会話の中から『救いとは場所が与えられること』と返答され、念仏の世界について「南无阿弥陀仏は、この私のいのちを支えて下さっている如来様そのものです。如来さまと真反対の私なのに、何一つ条件をつけずに、この私を包み、直接名指しして、必ず救うと喚び通しに喚んでくださっている南无阿弥陀仏こそ、この私を生かして下さっている如来さまです。いのちのいのちです。すなわち、南无阿弥陀仏に依って私のいのちがあるのです。」と説明されております。無条件でいのちを認められる世界とであった時、生きる力が生まれると思います。
勉強会にて気付いたことは、門信徒の皆様が一生懸命に問いをもち学びを深めていることです。これから、天真寺ホームページにて、皆様のさまざまなご質問にお答えする形で、仏法のお取り次ぎをしていきたいと思います。
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曇鸞讃
【原文】
本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼 三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦
天親菩薩論註解 報土因果顕誓願 往還廻向由他力 正定之因唯信心
惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃 必至無量光明土 諸有衆生皆普化
【書き下し文】
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞(曇鸞)のところに向かひて菩薩と礼したてまつる。三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまひき。
天親菩薩の『論』(浄土論)を註解して、報土の因果誓願に顕す。
往還の回向は他力による。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなわち涅槃なりと証知せしむ。
【現代語訳(本願寺)】
曇鸞大師は、梁の武帝が常に菩薩と仰がれた方である。菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので、仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された。
天親菩薩の『浄土論』を注釈して、浄土に往生する因も果も阿弥陀仏の誓願によることを明らかにし、往相も還相も他力の回向であると示された。「浄土へ往生するための因は、ただ信心一つである。煩悩具足の凡夫でもこの信心を得たなら、仏のさとりを開くことができる。はかり知れない光明に浄土に至ると、あらゆる迷いの衆生を導くことができる」と述べられた。
【現代語訳(真宗教団連合)】
曇鸞大師徳たかく 梁の天子にあがめらる 三蔵流支にみちびかれ 仙経すてて弥陀に帰す
天親の論釋しては 浄土にうまるる 因も果も 往くも還るも 他力ぞと ただ信心をすすめけり
まどえる身にも 信あらば 生死のままに 涅槃あり ひかりの國にいたりては あまたの人を救うべし
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