天真寺通信

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何が目的なのだろうか

シネマ法話
 
今年は、年始からから、昨年開催されたシネマ法話の映像をYoutubeにアップするために悪戦苦闘をしていたが、やっと任務が完了した。撮影したデータファイルを編集して、データの保存形式をWMVファイルにすればうまくアップロードができた。ホット一息であります。
 今朝のニュースを拝見していると、ユーチューバ―の方が、朝4時クロネコヤマトの営業所に行き、チェーンソーをもってクレームをつけ、その過激な映像をYoutubeに流したというニュースが放映されていた。配達の商品は代金引換で、クロネコさんは、一度自宅に配達をしたが、お金がないといわれ引き返してきたという。つまり、クロネコさんには非がないのです。その方は、フジテレビの特ダネの取材に応じて、チェーンソーは殺害目的ではなくYoutube上の演出であり、今は申し訳なく思っていると謝罪をされていた。私も、学生時代にクロネコヤマトにてアルバイト経験があるので、対応された方はさぞ驚かれたことだろうと想像します。ユーチューバ―の方は、まさか、こんな大事件になるとは思っていなかったともおっしゃります。多分、Youtubeの映像をたくさんの視聴者に観てもらうために、過激な演出をなさり、行き過ぎてしまっただと思われます。昨年から、過激な映像をYoutubeにアップして、警察に逮捕される事件が多発しています。
 なぜだろうか?Youtubeの自分のチャンネルにおもしろ映像をアップして、たくさんのファンがおり、オモシロい動画を期待して待っている人がいる、それが自分の居場所になっているのではないだろうか。また、いつもゲームに夢中になっている友人がいます。スマホゲームに熱中して、追加課金を何千万もかけている方もいらっしゃるそうです。友人曰く、そのゲームにイン(入る)と待っている仲間がいる。一緒に戦ってオモシロい。俺が行かなければいけないと語ります。彼にとっても、自分の居場所になっているようです。Youtubeであったり、ゲームが居場所になっており、さらに過激に過激になってしまったのかも知れません。ある方は、「欲望は満たされることを望まない。やめられない、止められない。」と語り、ダライラマ法王は「欲望を海水を飲むことに似ている。飲めば飲むほどのどが渇く」と語られます。飽くなき欲望。自分の居場所を求めていくなかに見失ってしまう世界があるのでしょう。
 これからの時代は、「Do」ではなく「Be」が大事にしたいと思う。何かをすることで自分の居場所になるのではなく、ただいる、存在しているありのままを受け入れられ、認められるときにホッと一息つける。これらの事件を見ていると、他人事とは思えない、なぜならば、なにかをすることで認められたいなぁと思う自分がいるからだろうか。改めて、阿弥陀様の「そのままの救い」「ありのままの救い」のありがたさを実感する。このままありのままでいられずに、認めてもらおうとする自分の心の教えていただいたようだ。

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