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  • 2017/02/04
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チョウチョは決して無理して飛んでいるわけじゃない。あれがチョウチョにとってものまっすぐなんだ

今朝の朝日新聞「折々のことば」から一言。
今朝は坂口恭平さんの
「チョウチョは決して無理して飛んでいるわけじゃない。あれがチョウチョにとってものまっすぐなんだ」
という言葉について鷲田清一先生が一言を添えています。
チョウチョはまっすぐ飛ばない。次にどこに向かうか、人にはなかなか読めない。だがこれは、狙いを定めにくくして、鳥に食べられないようにする飛び方の工夫ともとれる。人も、道を間違えたり回り道をしているように見えても、きっとそれぞれ命懸けで道をさがしているはず。じっと見守ろう。作家・建築家の小説「現実宿り」から。
これから春を迎え、天真寺農園に行けば、たくさんのチョウチョが飛び交っています。その姿を見る度に、またキャベツが食べられてしまうと、敵対心をもってみつめていた私がいました。チョウチョはチョウチョの一生を一生懸命に生きている、ただそれだけの事実があるだけ。そこに私の自己中心の損得、嫌悪のフィルターを通して、知らぬ間にいのちにプラス・マイナスの価値をつけて見ていました。その価値観を持っている私にがつんと一言「チョウチョは決して無理して飛んでいるわけじゃない。あれがチョウチョにとってものまっすぐなんだ」と、チョウチョから見た世界からのメッセージ。さらに本日のお言葉では一歩踏み込み、「人も、道を間違えたり回り道をしているように見えても、きっとそれぞれ命懸けで道をさがしているはず。じっと見守ろう。」と。チョウチョと人間を重ねるまなざし。そこには、あいだみつお先生の「つまづいたっていいじゃないか 人間だもの」というあたかいまなざしが伝わってくる。これが仏様の慈悲の世界なのだろう。
最近は、国境に線を引き、人間関係に線を引くニュースが多いが、最終的には自分のいのちに価値があるなしという線を引くことにつながっていく。人生に無駄な時間はないのに・・・そんなことを感じられる仏教の世界に出あえてよかったなぁと思う。競争社会の中では、そんなことを言っていたら、置いて行かれてしまうだろう。だが、すべてのいのちに仏様の慈悲は届いているんだというアミダ様の願いを有り難く思う朝の一時でした。