• 2017/02/23
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修士論文『親鸞浄土教における二諦説の展開』

定例法話
先日、天真寺定例法話会が開催され、宮部誓雅先生が大阪からお越し下さった。その後、近隣の寺院の住職&先生から教化を受けたお坊さん達と「講師を囲む会」という法談会を開催しました。お坊さんが集まって何を語るか?ご法義を語ることが多い。ある飲み屋では、先生が「倶会一処」を熱く語ったら、店員さんが「お坊さんですか」と言われ「私は山口大学に通って、仏教のゼミをとっていました。ゼミの先生は日蓮宗の先生でした」と会話がつむがれていきました。そんな話を聞きながら、お聖教への学びを深めなければならないと、改めて思い返しました。
私は、宗門の教義の学校には、「東京仏教学院」1年「龍谷大学真宗学科修士課程」2年通いました。一般の法政大学から仏教の専門・龍谷大学大学院に入学しましたので、なにもわからず宗学を学んだだけでした。特に、現代社会に真宗の教えがどうつながっているのか」という問題意識がありました。修士論文では、当時、アフガニスタンにあるバーミヤン大仏を、ターリバーンはイスラムの偶像崇拝禁止の規定に反しているとしていると、バーミヤンの大仏を破壊してしまった。その背景もあり、西本願寺から下附される名号、阿弥陀如来の絵像の裏書きにある「方便法身の尊号(形)」が真実であることを論考しました。
親鸞浄土教における二諦説の受容
西原竜哉
第一章 大乗空説の原理
 第一節 「帰敬偈」にみる『中論』の趣旨
 第二節 『中論』所説の「空の三態」ならびに「二諦説」
第二章 『論註』における「二諦説」の展開
 第一節 『論註』における「二諦説」の展開
 第二節 「浄入願心」章説示の「広略相入」と「二種法身」
 第三節 「性功徳」釈義と「二諦説」
 第四節 『論註』にいう「般若(智慧)と方便(慈悲)」義
第三章 親鸞における二諦説の受容と展開
 第一節 『唯信鈔文意』『一念多念文意』にみる二諦説の展開
 第二節 「光明」としての「方便法身(世俗諦)」
 第三節 『自然法爾章』にみられる二諦説
序論
諸宗教には、さまざまな礼拝対象が存在する。宗祖親鸞の教えを共に生きる私たちは、「阿弥陀仏」を礼拝の対象としている。たとえば西本願寺から下附される名号、絵像の本尊には、その裏書として「方便法身の尊号(形)」と記されている。この場合の「方便」は、真実へ導くための「手段・手立て」をいう。しかし、そのような「本尊(有相の仏)」を礼拝することは、偶像崇拝ではないかと批判されることもある。
 法霖師は 『 當流安置本尊方便法身之尊形弁』において、浄土真宗の「方便法身の御本尊」が「真実」であるという出拠を『往生論註』の「法性法身によりて方便法身を生ず。方便法身によりて法性法身を出す」の文にもとめている、そこで、当論文では、「親鸞浄土教における二諦説の受容」と題し、今言う法霖師の言葉を契機に、師が「方便法身が真実の仏である」といいえた教学的背景を、大乗仏教の基本理念ともなる「二諦説」にさぐり、その「二諦説」の原理を、曇鸞の「二種法身説」に承けながら、親鸞がいかに受容し、そこに示される「方便法身」の意義を顕彰していったのかを考察した。
学生時代に論考した内容ですが、10年以上の年月が過ぎ、ほぼ記憶の片隅にいってしまいました。今年は、親鸞聖人のお言葉を中心にて、お聖教を学び直そうと思います。