• 2018/11/07
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お寺de七五三

七五三

天真寺のホームページ閲覧状況を調べていると、急に閲覧数が伸びているサイトがありました。

2013年10月30日天真寺通信「お寺で七五三のお祝いを」の記事でした。
http://tenshin.or.jp/archives/1417

ちょうど、七五三シーズンですので、お父さん、お母さん達は、インターネットで調べていらっしゃるのでしょう。

折角のご縁ですので、お寺で七五三の記事を再度アップします

今日はお寺で七五三をしました。皆さんお宮参りと同じく神社にお参りされますので、お寺にお参り下さるというのはなかなかなく、ありがたいことです。

七五三のウンチクを調べてみますと、色々とありました。

11月15日を中心にしたその前後の日曜日になると5歳の男の子と3歳と7歳の女の子が晴れ着を着飾って神社詣でをする風景が見られます。いわゆる『七五三』 ですが、何の由来があってあのようなことが行なわれるようになったのか?

当たり前に行事として定着していましたから、私はその由来を全く知りませんでした。 今日をご縁に若住職が調べていたのを盗み見して、なるほどと感心しました。 ちょっと長いですけど、お時間のある方はぜひ読んでみて下さい。

この習慣には日本人の生活や慣習や決まりの中にあった、いろいろな要素が組み合わさっています。昔の村落には生まれた子どもはすぐに村の構成員とは認められず、ある年齢になって初めて村落共同体の一員として認められるようになるという掟や取り決めがありました。その年齢が、男の子が5歳で女の子が3歳でした。

また、7歳は幼児から少年少女への折り目だと考えられていました。ですから3歳、5歳、7歳のうちで、最も古くから折り目の行事を行なったのは7歳のときで、そのときは今のような参拝ではなく、何かのお祭りをやったものと思われます。また、人別帳や氏子の登録も3歳を過ぎて7歳ぐらいまでに行なわれました。これでやっと村の子ども組に参加できるようになり、村の中での権利と義務が生じてくるようになったのです。

武家社会になると5歳になった男の子は「はかまぎ」7歳になった女の子は「おびとき」のお祝いをする風習も生まれました。また、鎌倉時代以降になると公家では2歳、武家では3歳に「かみおき」のお祝いを行いました。これは、赤ちゃん時代からやっていた髪を剃ることをやめる行事です。そして武家ではこれを11月15日に行なって、それは室町時代から江戸時代まで行なわれていますがこの習慣は広く民間にも伝わったようです。この「かみおき」の儀式の後は土地の産土神に参拝し髪の成長を祝ってお祝いの食事が作られました。こうして次第に現在の『七五三』のお祝いが成立してきたのです。

このお祝いがほぼ全国的に11月15日に定着したのは明治以降で、それまではその年齢の誕生日などがあてられている地域も多かったようです。なお、11月15日と『七五三』が結び付いたのは民俗的なお祭りである「霜月祭」にその日があたっていることが由来だと考えられています。

・・・とのこと。
現在では、子供の無事な成長を願って神社でお祓いをしてもらう行事というところでしょうか。
女の子も男の子も可愛らしい晴れ着を着て写真を撮ったりと、成長の大きな節目として迎えます。

もちろん無事な成長はどんな子供にも望まれること。
けれど生きている限り、悩みは尽きず、苦しみも悲しみの経験しなければならないのが現実です。
お祓いで一時的な気休めや安心を得るのではなく、
どんなうれしいときでも、どんなつらいときでも、共によろこび悲しんでくれる仏さまがいてくれることを教えてもらう方がどれほど将来の力になり支えになるか分かりません。

これほど定着した行事ですから、これも子供たちがお寺に足を運んでもらう機会になればな~と思ったことです。
またご門徒さんであれば、ぜひ七五三もお寺にお参りし、手を合わせる大切さを共に味わうご縁にしていただけたら、と感じた今日の七五三でした。