• 2019/12/06
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「ブッダで落語〜お坊さんと落語家が語る〜」終演しました!!!

今週は、法話ウィーク、5日連続にて法話会続きです。今週末は、関東でも雪の予報が出ております。今日、長野県に移動するので、会所寺院様にお伺いしたら、雪の心配があるとのこと。スタットレスタイヤにはき替え中です。

さて、一昨日築地アカデミーにて、「ブッダで落語〜お坊さんと落語家が語る〜」が大盛況のうち、終了しました。築地アカデミーは、初めてでしたので心配をしておりましたが、超満員になりホット一安心です。

今回の講義概要です。
江戸時代、落語によって、人々は人生の苦悩を笑いで吹き飛ばして受け入れ、お坊さんは、仏法によって苦悩を乗り越える道を説いてきました。今回は「愛と憎しみ」をテーマとして、菅原僧侶は「殻の中の私」をテーマとしてご法話、柳太郎師匠には「お見立て」を演じて頂きます。その後、ご参加の皆様からのご質問を通して生きるヒントを探っていきましょう。

「殻の中の私」と題して菅原僧侶による法話

築地本願寺

春風亭柳太郎師匠による「お見立て」の落語

築地本願寺

ご参加の皆さまのご質問を通して「愛」についてディスカッションがありました。

こちらは配布資料から一部紹介します。
■愛(渇愛)
人間の最も根源的な欲望。原語Trsnaは乾き。人が喉が渇いているときには、水を飲まないではいられない衝動を感じる。その乾きによって得られるような根源的な衝動が人間存在の奥底に潜在している。渇愛と訳された。喉の渇いた人が水をほしがるような激しい欲望、盲目的な衝動、満足するまでやまない激しい欲望、妄執の意味であります。
■ダライ・ラマ14世
欲望は、海水を飲むことに似ています。 飲めば飲むだけ、喉が渇くのです。
■親鸞聖人(正像末和讃)

 無明煩悩しげくして 塵数のごとく遍満す
 愛憎違順することは 高峯岳山にことならず(正像末和讃)
(現代語訳)
無明煩悩が激しくおこり、数限りない塵のように満ちわたっている。ほしいままに愛着や憎悪を抱く有様は、まるでそびえ立つ高い峰や岳のようである。

次回は2月開催されますので、若干名ご参加いただけますので、ぜひお越しください。