• 2018/01/25
  • 永代合葬墓あんのん堂
今月のあんのん堂

今日は、京都大谷本廟内にある永代合葬墓あんのん堂にお参りしてきました。
今朝の東京は48年ぶりにマイナス4度を記録したとの事ですが、京都も寒い朝を迎えました。
大賀蓮の池に雪が積もっています。
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お墓の花瓶(花立て)の形のまま氷ができていました( ;∀;)
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今月の法語です。
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「帰命ともうすは 如来の勅命にしたがうこころなり」『尊号真像銘文』
「帰命」というのは、古いインドの言葉「ナマス」を漢訳したもので、音写すると「南無」です。心から信じ敬うという意ですが、浄土真宗では阿弥陀仏の帰せよの勅命であり、私達は「仰せにしたがう」ばかりです。
 
振り返ってみると、私が赤ちゃんの時や幼児の頃、両親が「今度の休みの日は動物園に行こう」「デパートに行こう」というと、何の疑いもなく嫌だとも思わずに当たり前にどこにでもついて行ったものです。ところがいつからか親と一緒に出掛けるより友達と遊びに行きたいと思うようになりました。それは、自我が芽生え始めて自立していくうえでの成長でもあるでしょう。その自我は、様々な縁のなか、私中心の世界となり大人になってきたように思います。
そんなガチガチの頭に成長した私に「帰命せよ」と言われても、私には私の基準があります。そう簡単にしたがえません・・・何年か前までの私でした。”(-“”-)”・・・
「生きているうちに楽しめばいい」という私中心の生き方は、阿弥陀様からご覧になれば危うく、生死を迷い続けるしかない心配でならない存在ですが、その頃の私は、迷っているとは思ってもいません・・・
 
本廟内にひっそりと石碑が建っています。
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「朝夕に御法きけとや つげの鐘」
 
迷っていない存在から教えられ聞かせられなくては、迷っている事を知りえません。
阿弥陀様の智慧の光明に照らされてようやく本当の自分に気づかされ、私中心を基準としていたのが、真実のおみのりを基準とする生き方に育まれた事です。そこには大きな大きなすえ通った安心がありました。
 
 
冷たい空気のなか、お日様の温かさに身も心もほっこり(*^_^*) ・・・ナンマンダブ・・・
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(果)