天真寺通信
聞き違い
2020年に入り、バタバタと時間が過ぎております。2月はじっくりと法話の聴聞する時間を作ろうと思います。と言っても、パソコンに眠っている法話ですが。
本日は、阿部先生のお話を一つ紹介させていただきます。
これは、ある和尚の話。あるお宅にて、法話会が終了して、お汁粉をいただいた。ある方が、「塩はありませんか」と言った。奥さんが塩を持ってくると、ある人が、塩をじっくりと見た。そして、「お前よく今日まで無事にここまできたな」、とボゾっと言った。
その言葉を聞いた奥さんが「なんですか?」。
「この塩はどこに置いてありましたか。」
「私が嫁に来た頃から台所に置いてありました。」
そして、もう一回、ボソッと「お前よかったな。」と言った。
塩の入っていた茶碗は、タコ茶碗という。韓国から日本に焼き物が入ってくる時、船がナンパして海の中に落ちる。時おり、タコ釣りの漁師がタコが入っているお椀を釣る。これをタコ茶碗といい、骨董屋では目が飛び出るような値段がついている。それに塩を入れていた。値打ちがわからない話です。
これは、南無阿弥陀仏の聞き違いを説明した話です。
私たちは、「ただ念仏して」念仏のみ教えであります。それは、念仏を称えれば救われるとなると救いの条件となるが違う。私が念仏申すことは、南無阿弥陀仏に聞くことであります。阿弥陀様はあなたのお念仏となってはたらくと、はたらいてくださっている。そのあなたの念仏となってはたらいいてくださっている阿弥陀様のはたらきに、ようやく私がお任せした姿が「ただ念仏」であります。念仏は救いの条件ではないのです。
私が念仏をしないことは、阿弥陀様の働きをはねつけていることです。まだ私は、念仏申す歳でない、念仏申なんて縁起でないと言う。その阿弥陀様の働きをはねつけてきた私が、ようやく南無阿弥陀仏と念仏申す身にならせていただいた。阿弥陀様の念仏が私の上に届いて、私の口を通して、お前を仏にする安心せえよと出てくださる呼び声であります。
ただ念仏してとは、念仏さえすれば救われるではなく、阿弥陀様の働きにお任せするところに救いがあるぞ。何もしなくていいではなく、念仏しなかったものが、念仏するようになるのがおまかせの世界。念仏往生であります。
念仏の価値がわからずに聞き違いをしている私を例えたのが、和尚のお言葉でありましたと。
南無阿弥陀仏
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