天真寺通信

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御朱印はありませんか?

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一ヶ月一回、浄土真宗本願寺派&真宗大谷派のお坊さんたちと一緒に「安心論題」の勉強会をしている。浄土真宗本願寺派では、浄土真宗のご法義が間違って受け取られないように「安心論題」としてまとめられている。本願寺派と大谷派では、受け取り方は若干違ったりすので、興味深い。
先日は、品川にある大谷派正徳寺様で勉強会が行われた。正徳寺様の住職は学識兼備であり、お寺でもさまざまな活動をしている尊敬すべきお坊さんです。その寺報に「御朱印はないのですか」という記事がありましたので、紹介します。
御朱印とは、本来は写経をお寺や神社に収めた証として墨書きと朱印で書いてもらうものですが、いまでは三阿匹年として頂く寺社も多い。築地本願寺では、参拝記念として、御朱印はないが、参拝記念スタンプが用意されている。
寺報には、師僧に教えて頂いた言葉が紹介されていた。
お寺は何かを持って帰る所ではなく、何かをおいて帰る場所だ。
お寺で得られると思うことを考えてみますと。こころが安らかになる。落ち着く。などでしょうか。
ではなぜこのような思いを抱くのかというと、日常で背負った様々な思いやしがらみを仏様に預けて手放せるからです。誰にも話せない悩みをうちあけたり、愚痴を聞いてもらうのと同じような感じでしょうか。言葉にできない不安や、モヤモヤした思いも置いていけます。他力本願のほんとうの意味は「阿弥陀さまにおまかせをする」ということです。そもそもお釈迦様は、湧き起こる煩悩にとりつかれず捨てろ(無執着)とおっしゃいます。
というお言葉です。
以前、メリシャカライブにての釈先生のお言葉を思い出します。
しがみ付いてしまう自分をどうすればいいのか。
仏教では「布施」が説かれます。
布施とは、「手から離すこと」であり「シェア」をすること。日頃からその手を離すトレーニングをしておく事が大切。いざという時に手を離すことができないと、どうしようもない状態で縛り付けられていることになる。そして自ら苦悩します。
自分から手を離し、シェアをすることも重要です。
フェアにシェアする事がこれからのキーワードです。
手に入れることばかりを教えられてきた。が同時に、苦悩の原因にもなっているのです。
お寺は何かを持って帰る所ではなく、何かをおいて帰る場所だ。
というお言葉がすとんと落ちてきました。

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