天真寺通信

寺報「月刊てんしん」

3月寺報発送作業

寺報
毎月、門信徒の皆様が毎月発行される寺報「月刊天真」の発送作業をしてくださっております。今月の寺報がこちらです。
【月刊天真3月号PDFバージョン】
https://tenshin.or.jp/wp-content/uploads/2018/03/20180320194345.pdf
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月刊天真
今月は、門信徒弟子丸さんが、中央仏教学院通信講座をご卒業され、その経験談を「中央仏教学院通信教育学習課程を受講して」とご寄稿くださいました。
■「中央仏教学院通信教育学習課程を受講して」
昨年十月に中央仏教学院通信教育学習課程を卒業することができました。通信教育の課程には入門課程(一年間)、学習課程(三年間)、専修過程(三年間)があります。それぞれの課程で学ぶ広さが異なりますが、学習課程では浄土真宗だけでなく、仏教の成り立ちや他宗教との違いなどを体系的に学ぶことができます。具体的には真宗、仏教、宗教、寺の教団等のテキストを用いて歴史や宗派の特徴を勉強します。年一回の築地本願寺でのスクーリングと、学習・専修課程では各教科のレポート提出で合格点を頂ければ卒業となります。
中央仏教学院の通信教育では、新しい年度が始まると一年分のテキストが一度に送付され、年が明けて二月にレポートの課題の発表、五月・六月にレポート提出というスケジュールになります。テキストが送付されてから自分のペースでコツコツと学習できれば良いのですが、私の場合、送られてきたテキストを開きもせず数ヶ月放置し、秋頃になってから読み易そうなテキストを一冊ずつ取り出して通勤中などを利用して学習?を進めておりました。年が明けると、そろそろレポート提出を意識し始め、帰宅後に郵便受けを恐る恐る確認するというあまり褒められた学習方法をしていませんでした。(もし専修過程を選択していたらとても卒業できなかったでしょう)。
しかし、三年間を過ごしてみればとても良い経験をしたと思っています。特に中学校、高校の歴史の授業で淡々と触れれていたことが、実は宗教という要素を交えると一つのストーリーになっていくのには新鮮な驚きを感じました。また、通信教育を受講している仲間で集まり、「つどいの会」という自主的な学習会も開かれています。全国でも、特に東京教区は学習会が充実しており、築地本願寺の講堂などをお借りして十月から月二回のペースで五月頃まで開かれています。学習会は各課程、学年でクラスに分かれて、テキストの補足説明やめったに聞けない裏話、正信偈など普段のお勤めの発声の指導を、卒業された先輩講師から受けることができます。学習会の参加は義務ではありませんが、同じ課程、学年でクラスになるので学習仲間を得ることができ、勉強以外の情報交換の場となりました。学習会で知り合った方々とは築地本願寺での法話会などで今でも顔を合わせることがあります。近々本年度の通信教育の募集が始まりますので、もし皆さんもご興味がありましたら受講してみませんか。
そして、特集は、法話プレイバック、昭和54年、天真寺が河原塚にあった頃、花山勝友先生のご法話であります。
■彼岸法話 
お彼岸は本来「ろっみつ」という六つの実践行をするのであって、決してあの世に往った人を供養するのではありません。しかしどういうわけか日本人は黙ってお墓参りすればいいんだというように思っていて、お参りすることは有難いんですけど、やっている意味を考えない。お墓に行ってお水をかけるだけならいいんですけれど、「おじいちゃんはお酒が好きだった」と言って一升瓶を持って行ってぶっかけているのがいるんですけど、あれがあの世に届くと思っているんですかね~(笑)。おはぎだ牡丹餅だとお供えしますけど、あれは誰が食べるんですか。お花もこちらを向いてお供えしますでしょう。その意味を考えてお参りして初めてお彼岸の意味があるんじゃないだろうかと思うわけです。
 皆さんが今、人間に生まれるには何人のご先祖がいらっしゃるんでしょう。一人の人間を作るのに二人、二人で四人、四人で八人。私は別にがまの油を売ってるわけじゃございませんが(笑)。今から十代前遡ると、何と驚くなかれ1024人、二十代前で百万、三十代前で十億を超します。本当に不思議なものです。疑いを持たれる方、家で電卓を使ってゆっくり計算して下さい、三時間あればできます(笑)。一代三十年として、三十代前で平安時代の中期です。
 人間は生まれた限り必ず死にます。しかし“いつ”かが分からないから生きていけるんだと思うんです。それでも人間の死亡率は百パーセント、これは間違いない。ただしあの世のことだけは分からない。浄土真宗ではあの世のことは全て阿弥陀様にお任せする。大切なのは今をいかに生きるかということです。死後の世界を問題としている宗教ではありません。
 それは「南無阿弥陀仏」を考えれば分かります。意味は「おかげさま」ということです。着る物食べる物、「おかげさま」の前にはあらゆる物が含まれませんか。何か一つというならご先祖様となる。その気持ちを形であらわしたいというのがお墓参りという風習で定着したのだと思います。生まれたことを喜べない人間は、どんな時にも幸せになれません。人間の欲望にはきりがないですから、幸せは明日にはないのです。今日私に与えられたことを喜んで受け取っていければ、ご先祖に感謝の気持ちでお墓参りができるのではないかと思います。そしてその感謝を突きつめていったところに浄土真宗の教えがあるのです。(文責:井上静香)
寺報発送作業終了後には、その月に誕生日の方をお祝いして、誕生日ケーキを囲んでハッピーバースデー!!!今月は新しくミッキーマウスも参加くださいました(^_^)
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皆様、ありがとうございます(^_^)

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