天真寺通信

みんなの日曜礼拝

摂取不捨の阿弥陀さま

今朝寒かったですね、先程が雪が降っておりましたが、桜と雪のコラボは綺麗でした。
桜八柱霊園
さて、本日の朝の日曜礼拝の担当は龍哉です。御和讃は、阿弥陀経を讃える弥陀経讃「十方微塵の世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取して捨てざれば 阿弥陀と名づけたてまつる」より六首。
本日のテーマは、弥陀経讃。親鸞聖人は、和讃にて、阿弥陀様をお讃えする時、阿弥陀経に説かれている「光壽無量」ではなく「摂取不捨」の仏様と御和讃にて讃嘆されたのか?摂取の左訓「ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへ取るなり。セフハ オサメトル シュハ ムカエトル」を通して、お話をさせて頂きました。
導入にて、先日天台宗の寺院である京都・嵯峨 小倉山二尊院にて拝見したお言葉を紹介しました。「気きはながく、心こころはまるく、腹はらたてず、口くちつつしめざ、命いのちながらえ」と、人間のあるべき理想の姿が描かれております。
ですが、親鸞聖人は御和讃の中にて、摂取の左訓にて、「摂はものの逃ぐるを追はへ取るなり」と解説されております。仏道を歩む理想の人間像ではなく、仏様に背を向けている自分の姿に、手をあわせ、念仏せしめて下さる摂取不捨の阿弥陀様のお徳をおよろこびになられました。
最後に、是山恵学和上の晩年の出来事。お聖教の言葉を忘れていく、毎日お勤めしていた正信偈の言葉も忘れていく。和上は、「私は、顔も名前を忘れていくかも知れない。だが、私が忘れても、決して忘れない仏様がいらっしゃる。親様がいらっしゃる。後生の一大事の心配はないという話を聞かせていただいた。」と摂取不捨の阿弥陀様のおこころをお慶びになられました。
まさに、コロナウイルス感染症にて、ままならない人生を目の当たりにしております。私を問題にするのではなく、阿弥陀様は、抱いて抱えて浄土へ抱えて下さる仏様。ここに親が、仏がついているよ。浄土へ歩んでいこうと、南無阿弥陀仏の親様となってくださった阿弥陀様の慈悲の世界をお聞かせ頂きました。。

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