天真寺通信

講演関係

シネマ法話!!!

シネマ法話
明日は天真寺報恩講法要が勤まります。
本堂の準備は一段落、そこで今度は、築地本願寺の常例法座&福間先生法話合宿の法話を考え中。この度は、福間合宿の西日本チームが、銀座SALONのKOKOROアカデミーにて「シネマ法話」に登壇して頂きます。その前日、福間義朝先生の布教勉強会にて、福間合宿の東京メンバーが、シネマ法話をすることになりました。
===シネマ法話とは===
仏教の教えは聞かれる人に合わせて様々な例え話で伝えられてきました。現代での法話を研鑚している福間会があり、映画、科学や小説、音楽、時には漫画から仏法に入ってゆく法話を試みて参りました。この度は、その会の布教使が、SF、ループもの、人間ドラマ等様々なジャンルの映画を通して法話をします。(by 佐藤知水)
日常の行動パターンの中に、テレビや映画を見る習慣がないので一苦労。HULUに加入して、インターネットで映画を視聴しはじめました。只今は「謝罪の王様」を視聴中。
思えば、昔は、映画を通して、法話を考えていたことに気が付きました。例えば、布教を専門に研鑽する100日間の寮生活の研修道場「伝道院」では、日曜日の休みの日には映画を見続けた。「ターザン」「平成狸合戦ぽんぽこ」を法話の題材にしておりました。
■「平成狸合戦ぽんぽこ」
「平成狸合戦ぽんぽこ」についてのwikipedia先生による説明。
昭和40年代、多くの狸たちが楽しく暮らしていた多摩丘陵に、多摩ニュータウン建設による破壊が迫っていた。ある日、多摩の狸たちは結集し、総会を開いて開発阻止を決議する。伝統的変化術である化学(ばけがく)の復興と、四国と佐渡の化け狸に助力を乞うことが決定される。年が明けると、古狸の火の玉おろくから化学を教わった狸たちは、建設工事への抵抗を始める。開発業者のトラックを事故に追い込み、地蔵や稲荷神社の狐に化けて住民の信仰心に訴え、古典的なお化けにばけて人間を驚かした。 二年目には玉三郎と文太がそれぞれ四国と佐渡に派遣される。狸たちの抵抗運動は、一部の地権者や作業員に工事を思い止まらせ、「ニュータウンの怪」としてマスコミを賑わせるが、全体としては開発を阻止できない。三年目、強硬派の権太と慎重派の正吉たちが対立しているところに、四国から太三朗禿狸・隠神刑部・六代目金長を伴って玉三郎が帰郷する。三長老の指導のもと、狸たちが具現化した百鬼夜行がニュータウンを襲い、作戦のさなか隠神刑部は精根尽きはて落命する。しかし、ニュータウン住民には拍手喝采のイリュージョンにしか映らず、あげくにレジャーランドの宣伝に利用されてしまう。大作戦が失敗に終わると、狸たちは意気消沈し結束が乱れていく。レジャーランドの社長を抱き込んだ多摩の化け狐竜太郎が金長に接触し、化学を駆使して人間社会で生きる方がよいと唆すが、金長と婿の玉三郎は社長から一億円を巻き上げる。太三朗禿狸は踊念仏をはじめ、ついには宝船に変化して多摩川に繰り出し死出の旅に出る(補陀落渡海)。鶴亀和尚はテレビ局に犯行声明を送り付け、カメラの前で訴えようとするが、取材に訪れたのは興味本位のワイドショーだった。権太たち強硬派は姿を表して工事現場に座り込み、導入された警視庁機動隊と戦うが、敗北の末に命を落としてしまう。四年目、佐渡から帰還した文太は故郷の変わりように愕然とし、まるで人間に化かされているようだと慟哭する。残った化け狸たちは最後の力を結集し、かつての美しい多摩丘陵の幻を人間たちに見せつける。その後、狸たちはちりぢりになり、化学を使える狸は人間として暮らすようになる。正吉はストレスに耐えながら会社員として暮らしていた。ある晩、仕事帰りの正吉は、ぽん吉らかつての仲間が宴会を開いて騒いでいるのを見つける。正吉もまた狸の姿になって再会を喜びあう。
という内容です。
私達人間は、住宅開発と称して、自然を壊して、私達人間の住むやすい世界に変えていく。だがそこは、すでに住んでいた狸・猪・フクロウなどさまざまな動物の住み家だったのです。ラストシーンにて、狸の正吉からのメッセージがあります。テレビや何かでいうでしょ?開発が進んでキツネやタヌキが姿を消したって。あれやめてもらえません?そりゃ確かにキツネやタヌキは化けて姿を消せるのもいるけど、でも、ウサギやイタチはどうなんですか?自分で姿を消せます?
というお話をして、自然を開発して、住みよい社会をつくる人間中心の物事の見方の裏側には、悲しみがあふれている。まさに、金子みすゞさんの相手の立場になって物事を見つめる視点が大切だという話をしたかすかな記憶があります。
■デスノート
また、2006年に寄稿した東青僧の機関誌に投稿した記事は「デスノート」でした。
「デスノート」そのノートに名前を書かれた人間は必ず死ぬ。そんな恐ろしいノートをめぐるストーリーが人気を集めている。死神が落としたデスノートを使って犯罪のない世界を作り上げるため、正義感に貫かれ犯罪者を粛清していくエリート大学生キラ。それに対し、警察の要請でキラを追う天才少年エル。二人の間の壮絶な頭脳戦が繰り広げられストーリーは展開する。
この話から考えさせられるテーマは、善とは何か、悪とは何か。
キラにとって犯罪者は悪。そしてそれを裁く自分は善。
理想の社会を築くという大義名分のもと、次々と何のためらいもなくデスノートに名前を書き込み、犯罪者たちを殺し続ける。そして最後には、何の罪も犯していない実の父親さえも殺そうとする。なぜなら、目的達成の妨げとなるから。裁くべき悪が、社会的悪から、自分にとって不都合なもの、邪魔なものへと変わってしまったのである。自分の基準で判断する善悪がいかにあやふやなものか、そのこわさが思い知らされる。そして、自分が正義だという思い込みを持つと、殺人を犯し続けながらも罪の意識を感じない。その驕りももおそろしいものである。
『歎異抄』には「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり」とある。
親鸞聖人は私には善悪を深く見極め、はっきりと裁けるほど偉い人間ではないと自分自身を見つめられる。分別を超えた仏さまの慈しみのこころに出遇ってこそ、本当の自分のすがたを知り、ありのままを受け入れられる。そこに裁き合い切り捨てていく世界から、生かしあう世界が開けるのであろう。
という内容でした。
素敵な映画があったら紹介して下さい!!!
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シネマ法話~映画を通して、仏さまの教えを知る~
【日時】12月26日(火)14時~16時
【場所】築地本願寺サテライトテンプル 銀座SALON
東京都中央区銀座2丁目6-4 竹中銀座ビルディング5階
03-6263-0430(電話受付時間 10:00~17:00 <月曜日を除く>)
【銀座サロン】
https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/ginzasalon.html
※詳細、お申込みは築地本願寺KOKOROアカデミーHPをご覧ください。
https://tsukijihongwanji-lounge.jp/top/ginzasalon.html

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