天真寺通信

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自分を支える足の声聞いて

朝日新聞
おはようございます。
本日の日曜礼拝は、奥住先生でした。早いもので、正像末和讃もあと少しで終わり、来月からは「弥陀成仏のこのかたは」に戻ります。
時々、疲れたなぁと思うと、読みかえす言葉があります。10年前、いじめ問題にて、朝日新聞にて連載され、多くの著名人が「いじめられている君へ」をテーマにメッセージを綴られました。
その一人が、作家の高史明先生のメッセージ「自分を支える足の声聞いて」です。
ぼくだけは
ぜったいにしなない
なぜならば
ぼくは
じぶんじしんだから
31年前、ひとり息子の真史(まさふみ)は、人知れず詩を書きためた手帳の最後にこう書いて、自死(じし)しました。12歳でした。
 「なぜ!」という自問をくりかえしながら、息子が残した詩を妻とともに「ぼくは12歳」という詩集にまとめました。読者から多くの手紙が届き、訪ねてくる中高生も後を絶ちませんでした。
 ある日、玄関先(げんかんさき)に現(あらわ)れた女子中学生は、見るからに落ち込んだ様子でした。「死にたいって、君のどこが言ってるんだい。ここかい?」と頭を指さすと、こくりとうなずきます。私はとっさに言葉をついでいました。
 でも、君が死ねば頭だけじゃなく、その手も足もぜんぶ死ぬ。まず手をひらいて相談しなきゃ。君はふだんは見えない足の裏で支えられて立っている。足の裏をよく洗って相談してみなさい。
 数カ月後、彼女からの手紙には大きく足の裏の線が描かれ、「足の裏の声が聞こえてくるまで、歩くことにしました」と書かれてありました。
 思えば、真史が最後までこだわった「じぶんじしん」とは、足の裏で支えられた自分ではなかった。そのことに気づかせてあげていれば……。
 彼も学校でいじめなどのトラブルにあっていました。いじめは許されない。しかし、それと向き合うことで、人は今より強い自分になれます。
 命は一つだから大切なのではなく、君が家族や友人たちと、その足がふみしめる大地でつながっている存在だから貴重(きちょう)なのです。切羽(せっぱ)つまった時こそ、足の裏の声に耳を傾けてみてください。
(朝日新聞2006年11月22日掲載)

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