• 2019/10/10
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浄土真宗の葬儀のイロハ

天ちゃん
本日は埼玉県のM寺様の定例法話会に出講、いつも住職・坊守さんをはじめ、皆様の温かい雰囲気にホッコリします。天ちゃんラインスタンプをはじめて買ってくださった親族がいらっしゃるとお聞きして、さらにホッコリ!!!
天ちゃん
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明日は、駿台トラベル&ホテル専門学校の浄土真宗の講義です。生徒さんは、葬祭業を目指す方々です。講義にて、浄土真宗の葬儀のかたちをお話すると、この作法は必要ないですという話になります。
例えば、
・清め塩を使用しない(穢れ 死を忌み遠ざける行為)
・逆さ屏風 ご飯に箸を立てる
・棺閉じる時、石で釘を打ち付ける(石の魔力で死者霊を封じ込め、災い防ぐ)
・故人の茶碗を割る再び舞い戻って災いを起こさないよう ・棺を回す
・死出の旅路しない(死後、冥土の旅に出かける)
 旅装束(草鞋 脚半 手甲 経帷子)
・枕元に枕団子や枕飯(一膳飯)を供える
などです。
ですが、作法もしかりですが、「なぜ浄土真宗のお葬儀をするのか」「法名をいただくことの意義」などをお伝えできればいいなぁと考え中です!!!
こちらは、ある葬儀で頂きました。「私たちは清め塩を使いません」のご案内です。最近は、清め塩を配布する葬儀社様は少なくなってきたような。
参考までに、
「私たちは清め塩を使いません」
魔を祓うためにお棺の上に刃物をのせたり、火葬場の行き帰りで道を変えたり、家に帰ればお清めと称して死の穢れを清めるために塩を撒くなど、葬儀の時には仏教の教えとは無縁のいろいろな迷信が行われます。
それらは、各地の習慣やしきたりとして、何の疑問もなく行われていますが、それが亡き人を限りなく貶めていく行為だと気が付いているひとは少ないようです。
例えば「清め塩」は、現在ほとんどの葬儀に見受けられ、会葬者にもお礼状と共に渡されています。そして、この「清め塩」で「お清め」することが当たり前のように思っている人が多いようです。
しかし、この「塩」でいったい何を清めようと言うのでしょうか。「清め」というからには、何かの「穢れ」を除くという意味があるのでしょう。そうだとすると、葬儀は穢れた行為であり、亡き人は穢れたものということになってしまいます。
 生前に、父よ母よ、兄弟よ友よと呼び、親しんできた方を、亡くなった途端に「穢れたもの」として「お清め」していくことは、なんとも無残であり、悲しく痛ましい行為ではないでしょうか。
 仏教では決して「死」を「穢れ」と受け止めることはありません。反対に、「死もまた我らなり」と受け止め、生死するいのちを精一杯生きていくことこそ、人間としての生き方であると示しています。
 仏教に照らすと「清め」の行為は、亡き人を貶めていくばかりでなく私自身の生き方も曖昧にさせる迷信で有り、一切不必要であることがわかります。