天真寺通信
本日、第8代蓮如上人の御命日です。
本日5月14日は、第8代蓮如上人の御命日です。旧暦は3月25日です。
築地本願寺では、昨日中宗会(第8代蓮如上人御祥月)逮夜法要がおつとまりになりました。
本日9時30分~中宗会(第8代蓮如上人御祥月)日中法要がおつとまりになります。
上記築地本願寺YOUTUBEより、蓮如上人のご紹介です。
上人は応永二十二(1415)年二月、第七代存如上人の長男として京都東山大谷でご誕生されました。上人は近江や北陸地方にて浄土真宗教学の研鑽や教化活動の青年期を過ごされ、長禄元(1457)年に存如上人ご往生のあとを承けて四十三歳で本願寺の法灯をご継職されました。蓮如上人以前の本願寺は参詣者も少なく不振を極めていましたが、上人は各地の門徒あてに親鸞聖人のみ教えをわかりやすく、お手紙(ご消息)の形式でつづった『御文章』を多く記され、また、人びとに「名号(御本尊)」を下付されました。そして、各地の法会では『御文章』が拝読される様になり、読み書きのままならない民衆にもみ教えが広まりました。また、上人は親鸞聖人の記された『正信偈』『和讃』を開板し、現在の真宗門徒の日々のお勤めのもととなるかたちを定められ、また『正信偈大意』、『正信偈註』、信仰生活の規範を示した「領解文」を記されるなど、上人のご功績により浄土真宗のご法義は飛躍的に広まり、上人は「浄土真宗中興の祖」と仰がれています。 しかし、当時の京の都は飢饉が深刻化し、また応仁の乱の荒廃期でもあり、やがて本願寺門徒衆は比叡山衆徒から敵視されるところとなり、寛正六(1465)年、比叡山の僧兵により京都東山大谷の本願寺は焼かれてしまいました。上人は各地を転々とされた後、文明三(1471)年、越前)国吉崎(現在の福井県)に移住されました。この吉崎の御坊には農民を中心とした多くの門徒が参詣するようになりましたが、文明六(1474)年、坊舎を炎上する災難に遭遇し、翌年、河内国出口(現在の大阪府淀川中流地方)へと移住されました。その後、文明十(1478)年、蓮如上人は京都山科の地にて本格的に本願寺建立にとりかかられ、文明十二年(1480)年には親鸞聖人のご真影を安置する御影堂、翌年には阿弥陀堂を建立されました。そして延徳元(1489)年、門主の職を実如上人に譲られてのちは、紀伊、大和、瀬戸内各地の教化につくされ、明応五年(1496)年、その交通の拠点である大坂石山に坊舎を建てられました。 しかしながら、明応八(1499)年三月二十五日(旧暦)山科本願寺にて八十五歳で浄土にご往生されました。上人の院号は信証院・※諡号(大師号)は慧燈大師と申しあげます。 ※諡号とは生前の行いをたたえ死後におくる名。おくりな
明治十五(1882)年に、明治天皇より追贈
天真寺日曜礼拝では、弘山光称師が、蓮如上人のお話をくださいました。
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