天真寺通信

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お経の映像を制作しよう!!!

これまで天真寺とご縁のあった方に、お経に親しんでもらうため、「日常勤行聖典」のお経を吹き込んだCDをお配りしておりました。

 ですが、先日、先輩住職が車を購入したら、新車にはCDやDVDを聞くことができない設計になっていることを嘆いていらっしゃいました。時代の流れでしょうか?
 今後、お経CDを配布しても、CDを聞くラジカセがない環境が当たり前になってきております。私の中学生時代は、ラジカセを買うことが夢でしたが、いまどきの中高生が持っている携帯電話には音楽を聞く機能が既に搭載されております。ラジカセ CDデッキを買う必要がありません。

10年前からしなければならないと思っていた映像化に取り組みます。まずは、「正信偈」のお勤めからです。

「正信念仏偈」 親鸞聖人著


法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所
覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓
五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方
普放無量無辺光 無礙無対光炎王
清浄歓喜智慧光 不断難思無称光
超日月光照塵刹 一切群生蒙光照
本願名号正定業 至心信楽願為因
成等覚証大涅槃 必至滅度願成就
如来所以興出世 唯説弥陀本願海
五濁悪時群生海 応信如来如実言
能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃
凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味
摂取心光常照護 已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天
譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇
獲信見敬大慶喜 即横超截五悪趣
一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願
仏言広大勝解者 是人名分陀利華
弥陀仏本願念仏 邪見驕慢悪衆生
信楽受持甚以難 難中之難無過斯
印度西天之論家 中夏日域之高僧
顕大聖興世正意 明如来本誓応機
釈迦如来楞伽山 為衆告命南天竺
龍樹大士出於世 悉能摧破有無見
宣説大乗無上法 証歓喜地生安楽
顕示難行陸路苦 信楽易行水道楽
憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩
天親菩薩造論説 帰命無礙光如来
依修多羅顕真実 光闡横超大誓願
広由本願力回向 為度群生彰一心
帰入功徳大宝海 必獲入大会衆数
得至蓮華蔵世界 即証真如法性身
遊煩悩林現神通 入生死園示応化
本師曇鸞梁天子 常向鸞処菩薩礼
三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦
天親菩薩論註解 報土因果顕誓願
往還回向由他力 正定之因唯信心
惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃
必至無量光明土 諸有衆生皆普化
道綽決聖道難証 唯明浄土可通入
万善自力貶勤修 円満徳号勧専称
三不三信誨慇懃 像末法滅同悲引
一生造悪値弘誓 至安養界証妙果
善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪
光明名号顕因縁 開入本願大智海
行者正受金剛心 慶喜一念相応後
与韋提等獲三忍 即証法性之常楽
源信広開一代教 偏帰安養勧一切
専雑執心判浅深 報化二土正弁立
極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中
煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
本師源空明仏教 憐愍善悪凡夫人
真宗教証興片州 選択本願弘悪世
還来生死輪転家 決以疑情為所止
速入寂静無為楽 必以信心為能入
弘経大士宗師等 拯済無辺極濁悪
道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説  
六十行已畢 一百二十句

「正信念仏偈」(現代語訳) 親鸞聖人著

無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。
法蔵菩薩の因位のとき、世自在王仏の所にましまして、
諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、
無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。
五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓ふらくは、名声十方に聞えんと。
あまねく無量・無辺光、無碍・無対・光炎王、
清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、
超日月光を放ちて塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。
本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願(第十八願)を因とす。
等覚を成り大涅槃を証することは、必至滅度の願(第十一願)成就なり。
如来、世に興出したまふゆゑは、ただ弥陀の本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。
よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。
凡聖・逆謗斉しく回入すれば、衆水海に入りて一味なるがごとし。
摂取の心光、つねに照護したまふ。すでによく無明の闇を破すといへども、
貪愛・瞋憎の雲霧、つねに真実信心の天に覆へり。
たとへば日光の雲霧に覆はるれども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし。
信を獲て見て敬ひ大きに慶喜すれば、すなはち横に五悪趣を超截す。
一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、
仏、広大勝解のひととのたまへり。この人を分陀利華と名づく。
弥陀仏の本願念仏は、邪見・驕慢の悪衆生、
信楽受持することはなはだもつて難し。難のなかの難これに過ぎたるはなし。

印度西天の論家、中夏(中国)・日域(日本)の高僧、
大聖(釈尊)興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす。
釈迦如来、楞伽山にして、衆のために告命したまはく、
南天竺(南印度)に龍樹大士世に出でて、ことごとくよく有無の見を摧破せん。
大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜんと。
難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。
弥陀仏の本願を憶念すれば、自然に即のとき必定に入る。
ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。
天親菩薩『論』(浄土論)を造りて説かく、無碍光如来に帰命したてまつる。
修多羅によりて真実を顕して、横超の大誓願を光闡す。
広く本願力の回向によりて、群生を度せんがために一心を彰す。
功徳大宝海に帰入すれば、かならず大会衆の数に入ることを獲。
蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち真如法性の身を証せしむと。
煩悩の林に遊んで神通を現じ、生死の園に入りて応化を示すといへり。
本師曇鸞は、梁の天子、つねに鸞のところに向かひて菩薩と礼したてまつる。
三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまひき。
天親菩薩の『論』(同)を註解して、報土の因果誓願に顕す。
往還の回向は他力による。正定の因はただ信心なり。
惑染の凡夫、信心発すれば、生死すなはち涅槃なりと証知せしむ。
かならず無量光明土に至れば、諸有の衆生みなあまねく化すといへり。
道綽、聖道の証しがたきことを決して、ただ浄土の通入すべきことを明かす。
万善の自力、勤修を貶す。円満の徳号、専称を勧む。
三不三信の誨、慇懃にして、像末法滅同じく悲引す。
一生悪を造れども、弘誓に値ひぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといへり。
善導独り仏の正意をあきらかにせり。定散と逆悪とを矜哀して、
光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、
行者まさしく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応してのち、
韋提と等しく三忍を獲、すなはち法性の常楽を証せしむといへり。
源信広く一代の教を開きて、ひとへに安養に帰して一切を勧む。
専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり。
極重の悪人はただ仏を称すべし。われまたかの摂取のなかにあれども、
煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。
本師源空は、仏教にあきらかにして、善悪の凡夫人を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興す。選択本願悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、決するに疑情をもつて所止とす。
すみやかに寂静無為の楽に入ることは、かならず信心をもつて能入とすといへり。
弘経の大士・宗師等、無辺の極濁悪を拯済したまふ。
道俗時衆ともに同心に、ただこの高僧の説を信ずべしと。
 六十行すでに畢りぬ。       一百二十句なり。

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