天真寺通信

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本願寺の紋は下がり藤?

天真寺のブログ「天真寺日記」の記事からアーカイブをアップします。
今回は、「天真寺日記」2009-07-12の記事「本願寺の紋は下がり藤?」です。御門徒のご質問から生まれた話題。あれから5年が経過したのかと、懐かしくもあり、時の移ろいの早さに驚いております。それでは、どうぞご覧下さい。
先日、ご門徒Iさんより質問がありました。
御文章箱をみながら、
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浄土真宗本願寺派(西)の紋は下がり藤ですね。
では、この左下の紋は何ですか?
そういわれてみれば???
調べてみると、本願寺の紋は、下がり藤ということではないようです。
歴代宗主によって違っていたり、さまざまな紋があるようです。
例えば、
「下り藤」
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ブログ「説法獅子吼」より
明治31年、本願寺第22代宗主・鏡如上人(大谷光瑞師)は九條籌子(かずこ)さまとご結婚されました。その時、籌子さまがご持参になった紋所が「下り藤」。明治36年5月、鏡如上人の伝灯報告法要が勤修されます。この時、初めて記念五條袈裟を制定し、その紋所として「下り藤」を御依用になったそうです。
もう一つは、
「五七桐」
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ブログ「説法獅子吼」より
本願寺第11代顕如上人より門跡勅許の沙汰があり宮中との関係が生じ、皇室の副紋である「五七桐」を許されるようになったそうです。
他にも、
「鶴の丸」
親鸞聖人ご出生・日野家の紋
「四っ藤」
本願寺第13代良如上人、家紋を「鶴の丸」から「四っ藤」に改めた。
「牡丹」
浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が藤原家の出身ということに由来している。
「菊花紋」(十六菊)
明治24年、本願寺第21代明如宗主の明治維新に際しての功績に対し、皇室の定紋である菊花紋の五條袈裟が下賜された。
「八藤」
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ブログ「説法獅子吼」より
第10世証如上人が九條家の猶子となったから。私が勤式指導所に通っていた頃、この紋の袴を式務部の方々が着用していたのでよく覚えている紋です。現在は、由緒寺院の定紋として用いられる。また、由緒寺院またはそれに準ずる役職者は、法要・儀式に当たって、八藤大紋の袴を着用している、とのことです。。
とさまざま。
結論から言えば、御文章箱の紋は「下がり藤」と「五七桐」の紋でした。
寺紋を調べる時に、築地本願寺輪番豊原大成ブログ「説法獅子吼」が大変参考にさせていただきました。
豊原先生はインドの大学に通われていたというほどの博学。今でも一年に一度?インドに行かれているそうです。読み応えがあります。是非、輪番ブログご覧下さい。
(龍)

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