• 2016/04/12
  • お寺の活動
ホームページ法話「春が来た」

千葉組
本日は、浄土真宗本願寺派千葉組の会議です。千葉組とは、千葉県にある浄土真宗本願寺派の寺院の行政区です。千葉組長が改選となり、同じく松戸市高林寺の菅原住職が組長となりました。千葉組の活動は多岐にわたり、一環としてホームページ法話があります。今回4月の法話の担当をしました。もしよろしければ、ぜひご覧ください。
《千葉組ホームページ》
http://chibaso.info
《法話原稿》
「春が来た」千葉組天真寺 西原龍哉

皆さんには、春は来ましたか?春が来た理由として、春彼岸が過ぎたから、暦が4月を迎えたから、桜が咲いたからと、さまざまなご意見があると思います。
童謡「春が来た」には
春が来た 春が来た どこに来た 山に来た 里に来た 野にも来た
花がさく 花がさく どこにさく 山にさく 里にさく 野にもさく
鳥がなく 鳥がなく どこでなく 山でなく 里でなく 野でもなく
と歌われています。
作詞家・高野辰之師は、雪深い地域・長野県の出身です、冬の厳しい寒さが終わり、雪がとけて、花が咲き、鳥が鳴く姿を見て、待ち遠しい春が来たのだという喜びが伝わってくる歌であります。春という季節は目に見えませんが、それぞれの人生の中で感じる世界であります。
私たちの世界には二つの世界があります。私達の目で「見ることができる世界」と「見ることができない世界」です。建物やテレビや人の姿は目で見ることができますが、空気や心、愛情・信頼・ぬくもりは見ることができません。今の時代は、美容・健康を目的とした商品がよく売れるというように、外見的な美しさや若さなど「目で見ることができるもの」が注目され、逆に老いを楽しむというように「見ることができない世界」は見えにくくなっております。「目で見ることができない世界」が見えなくなった時、人殺しはおこります。支えられている・かけがえのない重みの命が、石ころと同じ価値になってしまいます。お釈迦様は、目に見える世界は、目で見ることができない世界に包まれている、支えられていると教えられます。
親鸞聖人は、南无阿弥陀仏とお念仏申す人生を歩まれました。そのお念仏は願行具足の念仏と示され、「仏様の願と行とが六字の中にととのえてあるから必ず往生ができる」とお示しになります。ただ私の行いとしての念仏であれば値打ちはないが、如来様のハタラキであるがゆえに素晴らしい値打ちがある。私が手を合わせること、南无阿弥陀仏と念仏申すこと、すべては如来様がハタラいている姿ですよ。そのお心を広島の高松和上は、「声に姿は見えねども 声のまんまが仏なり 仏は声のお六字と 姿を変えて 帰り来ぬ」と喜ばれました。さまざまな現象が春の季節を知らせて頂くように、南无阿弥陀仏とお念仏申す中に、いつも私と一緒にいて下さる如来様のお心をお聞かせ頂きます。