天真寺通信

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お相撲と仏教

国技館
田子ノ浦部屋・稀勢の里関横綱昇進おめでとうございます(*^o^*)今場所は、先輩に誘われて、国技館での相撲観戦を二日間行き、二日目観戦時には稀勢の里の地元から応援団50人位の大勢で応援に来られており、稀勢の里が両日とも白星でしたので、さらにうれしいです。
稀勢の里関は、松戸市八ケ崎にあった鳴戸部屋出身の力士です。近所のラーメン屋さんに行くと、稀勢の里関のサインが飾られております。師匠の鳴門親方は、こつこつと勝ち星を重ねて優勝したことから、「オシン横綱」と呼ばれ愛されました。その師匠と同じ年齢30才での横綱昇進であり、19年ぶり日本出身横綱昇進です。相撲の世界の言葉「勝者は敗者の胸中を察して過ごすべし、決して勝っておごらず、負けて未練を残さず。」とあり、絶対に、ガッツポーズをしてはいけない、負けても淡々と自分が弱いから負けたんだと過ごせと、伝統的に受け継いでいるそうです。白鳳の63連勝ストップした時も、それぞれが淡々と勝敗を受け止めていました。この度、横綱昇進を伝えられた稀勢の里は、緊張した面持ちで「謹んでお受け致します。横綱の名に恥じぬよう精進致します。本日はありがとうございました」と、日常のお言葉で御礼をお伝えになられました。武士道ならぬ、相撲道ですね。
仏教の教えの話になりますが、お釈迦様は「縁起」のみ教えを説かれ、私は私一人では存在できない、私以外のすべての人、物によって、私という存在は成り立っていると教えて下さいます。他を縁として、私が生かされているということです。そして、私を私たらしめているすべてのものを自己とみて、そのすべてのものに軸足を置いて生きていくのが自他一如のさとりの仏様です。自己の中にすべてのものを見て、すべてのものを自己と見て行かれる方が仏様であります。ですが、そのお陰様を忘れて、私に軸足を置いて、自己に執着して生きている私の存在を「迷いの凡夫」と呼ばれ、宇宙全体のすべてのものによって生かされている私が、自己に執着をして自分の幸せばかりを求めていけば、苦しみは避けられません。だからこそ、仏様を仰いでいく生活の中で、仏様のまねごとをさせて頂く中に、私の歩むべき道をお示しくださいます。
稀勢の里関は、歴史に残る勝負にも、優勝が決まる一番にも、今場所最終日・白鳳を倒した大一番に勝利した時も、ガッツポーズをすることなく淡々と勝ち星をもらいました。その背景には、師匠の言動があり、「勝者は敗者の胸中を察して過ごすべし、決して勝っておごらず、負けて未練を残さず。」という「相撲道」の世界の他者への思いやりを感じることができます。仏教の教えを「仏道」ともいい、「八正道」「中道」など歩む道を示されます。中村元先生の著書『バウッダ』には「今、ここ、で生きる道を求めます。過去は過ぎ去って、どうにもならない。未来は、まだ来ないから、どうにもならない。結局、瞬間、瞬間の今を、決断して、選び取って生きるしかない。」と縁起の世界から一瞬一瞬をしっかりと歩むんだという決意の言葉示されます。一瞬一瞬をしっかりと歩み、さまざまな目には見えないハタラキ・おかげさまを頂きながら歩む毎日であります。
【参考文献】
法章(2)福田康
バウッダ 中村元
 

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