天真寺通信
ベトナムの禅僧ティクナットハン①
今朝は、朝5時からNHKこころの時代にて、禅僧ティク・ナット・ハン「怒りの炎を抱きしめる」が放映されていました。以前から、ティクナットハン師が「一枚に紙に雲が見えますか」という言葉にて縁起を語る姿に興味を抱き、3年前マインドフルネスの講義を受講して、改めて八正道「正念(サテイ)」の大切さを教えて頂きました。
先日、ベトナムを訪問してベトナム戦争の悲惨な歴史の現状を目の当たりにしてきました。その過酷な戦争体験が、ティク・ナット・ハンの原点であります。
ティクナットハン師は、1926年、仏教徒の家に生まれ、9歳の頃ブッダに憧れ、僧侶の道を志します。16歳で出家、当時ベトナムは、フランスの植民地支配からの独立を目指します。インドシナ戦争に突入、怒り、憎しみ、恐怖が渦巻いていました。ティク・ナット・ハンの寺にも敵兵が押し入り、修行もままならない状況でした。その後ベトナムは、南北に分裂、南ベトナムの独裁政権下では、仏教徒への弾圧が激しくなり、ティク・ナット・ハンの仲間たちは、次々に投獄されていきました。そしてティク・ナット・ハン37歳の頃、大きな衝撃を受ける出来事が起こります。サイゴンの路上で、ティク・ナット・ハンも教えを受けた高僧・ティク・クアン・ドック師が自らの身を捧げたのです。
この車に乗ってサイゴンに行き、交差点に車を置き、ガソリンを抜き、焼身自殺をされました。こちらの写真が、サイゴンまで行った車です。
ティクナットハンは語ります。
「ティク・クアン・ドック師が身を捧げたのは、平和を望んで殺戮を止めたかったからです。私たち(仏教徒)は、(メディアを持たず)爆撃や怒り、恐怖の中で声を失っていました。だから生きながら自らの身を燃やしてメッセージを伝えるしかなかったのです。暴力的な行為ではなく、私たちは板挟みになりながら、戦いを望んではいなかったのです、と。これは自殺ではない。慈悲のメッセージである。湧き上がる怒りを静めるため、ひたすら歩く瞑想を続けました。時はベトナム戦争の最中、社会主義化を進める北とアメリカの強力な援助を受ける南とに国内は分裂、祖国は焼き尽くされていきました。ティク・ナット・ハンは、苦しむ人たちを救いたいと命の危険を冒して立ち上がります。若者たちと共に社会活動を担う団体を設立しました。爆撃を受けた村の再建や孤児の世話、学校作りなどを手掛けます。村人たちの自立を目指すためでした。賛同した若者は一万人にもなりました。しかし村を再建してもまた破壊されました。ティク・ナット・ハンは怒りに身を任せず、今こそ仏教の力で社会変革していこうと奮い立ちます。
と、紹介されております。
そのティクナットハンが伝える仏教の教えの一つに「インタービーイング(Interbeing:相互共存)」すべてのものは繋がり合って存在するとあります。それが、自分と他者の区別を越えるブッダの智慧であります。
(続く)
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