• 2017/07/18
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ホスピスとビハーラ

天ちゃん
今朝、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが呼吸不全でご逝去された。年齢は105歳。日野原先生といえばホスピスを思い浮かべますが、そのご縁となったのは、先生がはじめて病院勤務をなさり、一人の少女の患者さんとのエピソードを思い出します。
こんなお話です。
日野原先生が、京大内科に入局してまもなくして出会った16歳の少女。少女は滋賀県の紡績工場に働く女工の長女、貧しい家計を助けるため女工として働いるが、結核性腹膜炎が進行して京大病院に入院して、先生との関係ができた。
当時、日野原先生は、日曜日は所属する協会での聖歌隊の音楽指導で病院には行かなかった。先生の患者に病状の変化が生じる時には当直医に依頼していた。その少女は日曜日になると高熱が出て苦しみ、日野原先生が病院に立ち寄るのを心待ちにしていた。ある日曜日、少女の様態が土曜日から容態が悪化したので、日曜日の教会のつとめが終わるとすぐ病棟に少女を見舞いに行った。その午後、少女は激しい腹痛を訴え、嘔吐を繰り返すうちに、急に顔面が蒼白となり、血圧が下がった。先生は「がんばれ、がんばれ」と励まし、弱った心臓に対して強心剤を打った。
少女は非常に苦しい表情で、先生ににこうおっしゃった。
「先生、私はもう死にそうです。私は母に何の助けができなかったが、お母さんから受けた愛にどんなに感謝しているかを先生、私に代わった母に伝えて欲しいのです」
少女は、日常から仏教心に深く、病床にあっては毎朝、お経を読んでいた。その夜、駆けつけた母親に先生は、「お母さんにはあなたの気持ちをよく伝えるから、いま安心して成仏しなさい」と言って彼女の手をしっかり握ることがどうしてしなかったかを話した。
この経験が、先生が第一歩に経験したひどく後悔したことであり、その後の先生の生き方を決めた。このようなことがあって、私は後にホスピス運動に身を捧げるようになったそうです。
そんな日、河北新報社の「<病棟のお坊さん>震災機にケアの道へ」の記事が紹介されていた。最近、仏教界にて、ビハーラ活動、臨床宗教師の活動を耳にする機会が増えてきました。その中で、東日本大震災を機に臨床宗教師となった宮城県栗原市築館の金田諦晃僧侶。東北大病院(仙台市青葉区)緩和ケア病棟の臨床宗教師として1年活動され、医療者と共に患者の声に耳を傾けながら、心の痛みを和らげる方法を探っている。という記事であります。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170713-00000028-khks-soci&p=1
その記事の中に、お父様の「心身共に苦しい人を前にして揺さぶられている君の心は確かなもの。そこに居続ける勇気があるのが宗教者だ」とのお言葉が紹介されていた。
生老病死は避けることのできない事実であります。その事実をありのままに受け取る力をいただくことができるのが宗教の世界。さらには、東北大病院の井上彰緩和医療科長は「医療者は投薬などで苦痛を和らげようと考えるが、スピリチュアルなケアを求める患者にとって、臨床宗教師は医療者より大事な役割を担う」と語られます。
生と死のリアルな現場にいる患者さんの声に耳を傾けることは、人間の力では限界があります。仏さまがご一緒くださる中、生死をつらぬく世界をいただいていく中で、患者さんの耳を傾ける空間が生まれてきます。改めて、日野原先生の書籍を読み直してみようと思います。