天真寺通信

みんなの日曜礼拝

浄土真宗の信心

毎週日曜日、朝7時〜日曜礼拝が勤まります。今週の担当は弘山先生です。

先生のお話から。
宗教を向き合う時には、「私の信心」を基本としますが、浄土真宗では、私が信じるのではなく、信ぜしめられる、仏様のお心をいただくことを大切なこととします。

仏教は、さとりを開くことを目指します。さとりとは、あなた・私という境涯の垣根がなく、あなたが私・私があなたという自他不二の境地であります。その境地に至るため、仏様のなされていたことをお手本とする「修行をする」というあり方があります。たとえば、禅定、菩提樹の下で悟りを開いた姿を手本として、無心をめざしていく。托鉢行は、食べ物を相手に委ねる。頂いた物をいらないとは言えない。頂き物が腐っている時もあります。この托鉢は、警察署の管轄であり、明治時代まで許可証を出していたです。ですが、私たちの境涯では、私は私、あなたはあなたと区別をして、有限性の存在です。有限な私から仏様の存在へ、近づいていく方がわかりやすいが、有限性からは仏様をつかむことができません。 

浄土真宗は、報謝の生活です。仏にするという仏様の仰せを聞かせて頂くなかで、私の味わいが深まっていきます。目の前のこと、過去の事実はかわらない。今が変われば、未来も必ず変わり、景色豊かなものとなります。

最後に、梅原真隆師のお言葉を紹介くださいました。
ほほえみに かがやくいのち なみだにも くもらぬいのち たたえまつらん

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